ラム河谷の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 19:15 UTC 版)
「ニューギニアの戦い」の記事における「ラム河谷の戦い」の解説
詳細は「ラム河谷の戦い(英語版)」を参照 その頃オーストラリア軍第7師団は、日本軍が道路を建設していたルートを逆にたどってラム河谷にまで進攻していた。この地区を守備していたのは中井増太郎少将(後に中将)の率いる第20師団歩兵第78連隊であった。1943年10月から1944年1月にかけて、オーストラリア軍はフィニステル山系の歓喜嶺を守る日本軍と戦闘を重ねた。ことにシャギーリッジ(屏風山)では守備する片山中隊が頑強に抵抗し激戦となり、オーストラリア軍も陸空の攻撃を集中させ片山中隊は一兵残らず全滅した。1944年1月31日までにオーストラリア軍は日本軍をフィニステル山系から撤退させ、マダンの日本軍拠点の手前まで迫った。
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