小倉丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/13 04:32 UTC 版)
小倉丸の南側にあり、標高は123.4mに位置する。本丸の南側を防御するように作られた細長い曲輪で、曲輪の西南には高さ2mの土塁を巡らしている。本丸を背にする方向には土塁は無い。虎口は中央部に一か所あり、土塁の長さは内側で58mある。土塁は直線的なものではなく、地形に応じて少しずつ湾曲している。また土塁の北西に突出している櫓台になっている。現在の櫓台は崩壊しているが、以前は角のある方形の櫓台であったと考えられる。土塁の盛り土は風化があるためか、崩壊があり傾斜も緩い。また土塁の更に外側には空堀が巡らされている。この空堀は横移動が可能な通路としても利用されていたようで、西南の虎口と連結している。小倉丸は空堀、土塁、そして櫓台から横矢をかける仕組みとなっており、一宮城の南方防御の重要な拠点となっていた。 これ以外の北城部分としては、椎丸と水ノ手丸がある。双方とも貯水池を守るように配しており、土塁や竪堀、堀切で防御している。椎丸は主要6曲輪の中で最も小さく東西、南北20mになる。双方とも本丸方向にそれぞれ虎口が開けている。 一宮城の特徴は様々あるが、貯水池と陰滝も大きな特徴の一つとなっている。水を貯めていた土手も切られているが、当時は大きな貯水池があった。この貯水池があったらからこそ、豊臣秀長の猛攻に耐える事が出来たと考えられている。この貯水池を馬蹄形に囲むように、小倉丸、椎丸、水ノ手丸が配されており、またそれらの曲輪を連結するような小さい曲輪もあり防御施設が作られていた。
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