第3、第4の哨戒 1944年7月 - 12月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/15 17:20 UTC 版)
「ピクーダ (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1944年7月 - 12月」の解説
7月23日、ピクーダは3回目の哨戒でスペードフィッシュ (USS Spadefish, SS-411)、レッドフィッシュ (USS Redfish, SS-395) とウルフパックを構成しルソン海峡方面に向かった。8月25日、ピクーダ以下のウルフパックは北緯18度42分 東経120度49分 / 北緯18.700度 東経120.817度 / 18.700; 120.817のルソン島北岸マイライラ岬近海でタマ24船団を発見。10時22分、ピクーダは光徳丸(大光商船、1,943トン)に向けて魚雷を6本発射し、うち1本が命中して光徳丸は10時24分に沈没していった。これを見た護衛の駆逐艦夕凪が対潜水掃討に向かう。向かってくる夕凪に対してピクーダは魚雷を発射し艦橋後部左舷に命中させ、夕凪は10時35分に沈没した。9月16日には、北緯21度27分 東経121度25分 / 北緯21.450度 東経121.417度 / 21.450; 121.417の地点でミ14船団を発見。徳島丸(日本郵船、5,975トン)に向けて魚雷を4本発射し、うち2本が徳島丸の左舷に命中して沈没していった。直後にレッドフィッシュも、徳島丸爆発の影響で損傷したタンカー第二小倉丸(日本油槽船、7,311トン)を撃沈した。9月21日にもバタン諸島を縫うように南下中のタマ26船団を発見。ピクーダは淡路丸(日本郵船、1,948トン)を撃沈し、レッドフィッシュは瑞穂丸(大阪商船、8,506トン)を撃沈した。この後、ピクーダはバーブ (USS Barb, SS-220)、クイーンフィッシュ (USS Queenfish, SS-393) と会合し、ともに帰投することとした。10月3日、ピクーダは66日間の行動を終えてマジュロに帰投。艦長がエヴァン・T・シェパード(アナポリス1935年組)に代わった。 10月27日、ピクーダは4回目の哨戒でバーブ、クイーンフィッシュとウルフパックを構成し東シナ海および黄海方面に向かった。11月1日から2日にかけてサイパン島に寄港して燃料を補給し、ウルフパックは東シナ海と九州の間に到着した。11月17日夕方、ピクーダは北緯33度21分 東経124度42分 / 北緯33.350度 東経124.700度 / 33.350; 124.700の済州島西方沖でヒ81船団を発見。18時15分に陸軍特殊船摩耶山丸(三井船舶、9,433トン)に魚雷2本を命中させて撃沈した。11月23日には朝鮮海峡西方沖で2隻の護衛艦がついた別の輸送船団を発見し、修洋丸(東洋汽船、6,933トン)と福寿丸(岡田商船、5,293トン)を撃沈した。攻撃の6日後、ピクーダは哨戒海域を去った。12月2日、ピクーダは35日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投した。
※この「第3、第4の哨戒 1944年7月 - 12月」の解説は、「ピクーダ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第3、第4の哨戒 1944年7月 - 12月」を含む「ピクーダ (潜水艦)」の記事については、「ピクーダ (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第3、第4の哨戒 1944年7月 - 12月のページへのリンク