第3、第4の哨戒 1944年5月 - 8月とは? わかりやすく解説

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第3、第4の哨戒 1944年5月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/24 20:38 UTC 版)

アングラー (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1944年5月 - 8月」の解説

5月3日アングラー3回目の哨戒ジャワ海向かったこの方面では、当時この方面にいた空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) とイギリス空母イラストリアス (HMS Illustrious, R87) の搭載機スラバヤ空襲する(トランサム作戦予定だったので、攻撃支援する8隻の潜水艦の1隻にアングラー選ばれ搭乗員救助脱出艦船対す攻撃命じられていた。5月17日行われたスラバヤ空襲の後、スンダ海峡ロンボク海峡交差する海域哨戒していたアングラーは、5月20日夕刻北緯0557東経10512分 / 北緯5.950度 東経105.200度 / 5.950; 105.200のスマトラ島スマンカ湾沖で、護衛艦従えた特設運送船大鳥丸(大阪商船、2,105トン)を発見し魚雷を4本発射。1本が大鳥丸に命中して航行不能に陥らせ、これを見てさらに魚雷3本発射し、これは命中しなかったものの、やがて大鳥丸は沈没していった。反撃受けた大したことはなかった。 しかし、翌日になって大問題が発生した吐き気をもよおす乗組員続出し、その割合が全乗組員4分の3達したのであるアングラーフリーマントル司令部に緊急報告を行いアングラー急遽帰投することとなったその間にも乗組員健康状態悪くなる一方で改善する気配がなかった。オルセン艦長5月22日艦長日誌に「乗組員上級幹部水兵問わず健康状態維持しているのが難しい」、「食器洗浄料理を作る際の特別な訓練を行う」と書き翌日日誌には「我々には、健康状態維持できる強壮な男がいない」と記した思わぬアクシデントに際悩まされているアングラー助けるため、フラッシャー (USS Flasher, SS-249) とクレヴァル (USS Crevalle, SS-291)、水上機母艦チャイルズ英語版) (USS Childs, AVD-1) が派遣され、クレヴァルは医師アングラー派遣し容態芳しくない乗組員収容した5月29日アングラー27日間の行動終えてフリーマントル帰投。ただちに徹底的な調査実施されアクシデント原因四塩化炭素よるもの結論付けた四塩化炭素使用この頃には実質禁止されていたが、2回目の哨戒の際に不快の元凶として槍玉に挙げられた真水タンク洗浄に、この四塩化炭素使用されたのであった。そして、タンク内の四塩化炭素十分に除去されないまま、3回目の哨戒出てしまったものと判断された。また、6月9日付で艦長フランクリン・G・ヘス少佐アナポリス1935年組)に代わった。 6月23日アングラー4回目の哨戒南シナ海向かった。翌6月24日エクスマウス湾(英語版)で給油を行うべく操縦していたところ、海図にない暗礁接触したため、アングラー一度フリーマントルに引き返す羽目となった損傷した右舷側のスクリュー交換した上629日再出撃した。哨戒海域ではフラッシャー、クレヴァルとともにウルフパック構成し南シナ海中央あたりからルソン島西岸海域所定哨戒海域とした。7月25日午後アングラーらのウルフパック北上してきたヒ68船団発見し数日間執拗に攻め立てた午後攻撃ではクレヴァルが2隻の陸軍輸送船安芸丸日本郵船11,409トン)と東山丸大阪商船、8,666トンに対して魚雷発射したが、両船とも回避したヒ68船団全速力北上続けたが、翌7月26日3時14分頃、フラッシャーからの魚雷安芸丸東山丸および2TMタンカー大鳥山丸(三井船舶、5,280トン)に命中して大鳥山丸沈没安芸丸および東山丸航行不能被害を受けるアングラー攻撃の番となり、20ミリ機銃人員配して浮上攻撃敢行する。5時ごろ、アングラー北緯1830東経11757分 / 北緯18.500度 東経117.950度 / 18.500; 117.950の地点特設運送艦聖川丸川崎汽船、6,862トンに対して艦首発射管から魚雷を6本、艦尾発射管から魚雷を4本発射魚雷聖川丸の一番船倉に命中して船首部浸水する聖川丸一時最大速力が7ノットしか出なかったが、やがて11ノットまで回復して海防艦平戸護衛により高雄入港したウルフパック全体では、6隻36,000トン損害与えた8月23日アングラー54日間行動終えてフリーマントル帰投した。

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