第3、第4の哨戒 1944年5月 - 8月
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「アングラー (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1944年5月 - 8月」の解説
5月3日、アングラーは3回目の哨戒でジャワ海に向かった。この方面では、当時この方面にいた空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) とイギリス空母イラストリアス (HMS Illustrious, R87) の搭載機がスラバヤを空襲する(トランサム作戦)予定だったので、攻撃を支援する8隻の潜水艦の1隻にアングラーも選ばれ、搭乗員救助と脱出艦船に対する攻撃を命じられていた。5月17日に行われたスラバヤ空襲の後、スンダ海峡とロンボク海峡が交差する海域で哨戒していたアングラーは、5月20日夕刻に北緯05度57分 東経105度12分 / 北緯5.950度 東経105.200度 / 5.950; 105.200のスマトラ島スマンカ湾沖で、護衛艦を従えた特設運送船大鳥丸(大阪商船、2,105トン)を発見し、魚雷を4本発射。1本が大鳥丸に命中して航行不能に陥らせ、これを見てさらに魚雷を3本発射し、これは命中しなかったものの、やがて大鳥丸は沈没していった。反撃も受けたが大したことはなかった。 しかし、翌日になって大問題が発生した。吐き気をもよおす乗組員が続出し、その割合が全乗組員中4分の3に達したのである。アングラーはフリーマントルの司令部に緊急報告を行い、アングラーは急遽帰投することとなった。その間にも乗組員の健康状態は悪くなる一方で改善する気配がなかった。オルセン艦長は5月22日の艦長日誌に「乗組員は上級幹部も水兵も問わず、健康状態を維持しているのが難しい」、「食器洗浄や料理を作る際の特別な訓練を行う」と書き、翌日の日誌には「我々には、健康状態を維持できる強壮な男がいない」と記した。思わぬアクシデントに際悩まされているアングラーを助けるため、フラッシャー (USS Flasher, SS-249) とクレヴァル (USS Crevalle, SS-291)、水上機母艦チャイルズ(英語版) (USS Childs, AVD-1) が派遣され、クレヴァルは医師をアングラーに派遣し、容態の芳しくない乗組員を収容した。5月29日、アングラーは27日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。ただちに徹底的な調査が実施され、アクシデントの原因は四塩化炭素によるものと結論付けた。四塩化炭素の使用はこの頃には実質禁止されていたが、2回目の哨戒の際に不快の元凶として槍玉に挙げられた真水タンクの洗浄に、この四塩化炭素が使用されたのであった。そして、タンク内の四塩化炭素が十分に除去されないまま、3回目の哨戒に出てしまったものと判断された。また、6月9日付で艦長がフランクリン・G・ヘス少佐(アナポリス1935年組)に代わった。 6月23日、アングラーは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。翌6月24日、エクスマウス湾(英語版)で給油を行うべく操縦していたところ、海図にない暗礁に接触したため、アングラーは一度フリーマントルに引き返す羽目となった。損傷した右舷側のスクリューを交換した上6月29日に再出撃した。哨戒海域ではフラッシャー、クレヴァルとともにウルフパックを構成し、南シナ海の中央あたりからルソン島西岸海域を所定の哨戒海域とした。7月25日午後、アングラーらのウルフパックは北上してきたヒ68船団を発見し、数日間執拗に攻め立てた。午後の攻撃ではクレヴァルが2隻の陸軍輸送船、安芸丸(日本郵船、11,409トン)と東山丸(大阪商船、8,666トン)に対して魚雷を発射したが、両船とも回避した。ヒ68船団は全速力で北上を続けたが、翌7月26日3時14分頃、フラッシャーからの魚雷が安芸丸、東山丸および2TMタンカー大鳥山丸(三井船舶、5,280トン)に命中して大鳥山丸沈没、安芸丸および東山丸航行不能の被害を受ける。アングラーの攻撃の番となり、20ミリ機銃に人員を配して浮上攻撃を敢行する。5時ごろ、アングラーは北緯18度30分 東経117度57分 / 北緯18.500度 東経117.950度 / 18.500; 117.950の地点で特設運送艦聖川丸(川崎汽船、6,862トン)に対して艦首発射管から魚雷を6本、艦尾発射管から魚雷を4本発射。魚雷は聖川丸の一番船倉に命中して船首部が浸水する。聖川丸は一時は最大速力が7ノットしか出なかったが、やがて11ノットまで回復して海防艦平戸の護衛により高雄に入港した。ウルフパック全体では、6隻36,000トンの損害を与えた。8月23日、アングラーは54日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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