第3、第4の哨戒 1944年2月 - 7月とは? わかりやすく解説

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第3、第4の哨戒 1944年2月 - 7月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 20:53 UTC 版)

ミンゴ (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1944年2月 - 7月」の解説

2月26日ミンゴ3回目の哨戒南シナ海向かった3月22日夜、ミンゴ北緯13度05東経11445分 / 北緯13.083度 東経114.750度 / 13.083; 114.750の地点レーダーにより5隻の輸送船と4隻の護衛艦からなる9つ目標探知し魚雷を6本発射。やがて6つ爆発音聞こえ、さらに閃光見えた。しかし、護衛艦反転してくる気配があったので、戦果確認は行わなかった。ミンゴ南シナ海での哨戒終えると、ビスマルク諸島海域経て5月4日ニューギニアミルン湾寄港5月9日ミンゴ73日間行動終えてブリスベン帰投した。その後前進基地マヌス島回航され、6月10日到着後は訓練従事した6月19日ミンゴ4回目の哨戒セレベス海および南シナ海向かった7月7日未明ミンゴ北緯14度19東経11757分 / 北緯14.317度 東経117.950度 / 14.317; 117.950のルソン島マニラ湾西方で、シンガポールからマニラ向かっていた特設運送艦旭東丸(飯野海運10,051トン)と、護衛軽巡洋艦北上駆逐艦玉波および藤波発見した船団の方でもミンゴ存在察知し玉波をその制圧差し向けたミンゴ玉波に対して魚雷を4本発射した命中しなかったためさらに4本発射し今度3本命中して玉波轟沈させた。この哨戒敵艦船との遭遇旭東丸船団を含めて三度しかなかった。7月30日ミンゴ46日間行動終えてフリーマントル帰投艦長ジョン・R・マディソン少佐アナポリス1937年組)に代わった。

※この「第3、第4の哨戒 1944年2月 - 7月」の解説は、「ミンゴ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第3、第4の哨戒 1944年2月 - 7月」を含む「ミンゴ (潜水艦)」の記事については、「ミンゴ (潜水艦)」の概要を参照ください。

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