第3、第4の哨戒 1944年11月 - 1945年4月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/05 21:22 UTC 版)
「ピラーニャ (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1944年11月 - 1945年4月」の解説
11月9日、ピラーニャは3回目の哨戒で東シナ海に向かった。ピラーニャは通常の哨戒のほかに、九州を攻撃するB-29部隊支援のための救助配備任務に当たった。1945年1月8日、ピラーニャは南西諸島海域で特設捕獲網艇第二新東丸(澤山汽船、540トン)に魚雷を2本命中させて撃破した。しかし、護衛艦の攻撃を受け再びの攻撃位置を取ることはできなかった。1月13日、ピラーニャは52日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投。艦長がドナルド・G・アーヴィン(アナポリス1934年組)に代わった。 2月11日、ピラーニャは4回目の哨戒で南シナ海方面に向かった。ピラーニャはルソン島から台湾、香港への海上航路で目標を捜索した。台湾への空襲が行われる間、ピラーニャは救助配備任務に当たる一方、2月27日には日本の航空機用の灯火任務に就いていたと考えられるジャンクを撃沈した。3月5日、ピラーニャは香港を出港した船団に対しての接近を、大きな漁船団によって妨害された。過去の海戦の策略に習ってピラーニャの乗組員は、日本の軍艦旗を即席で作成し、それを掲揚した。偽装は成功したものの輸送船団を発見することはできなかった。ピラーニャは全速力で漁船の間を縫う様にして航行した。3月26日にプラタス島に対し4インチ砲弾を77発、40ミリ機関砲弾125発を撃ち込んだあと、帰路についた。この哨戒では3度、そのうち1回はウェーク島沖で10日間、敵機からの攻撃を回避するための潜航を行った。4月21日、ピラーニャは69日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
※この「第3、第4の哨戒 1944年11月 - 1945年4月」の解説は、「ピラーニャ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第3、第4の哨戒 1944年11月 - 1945年4月」を含む「ピラーニャ (潜水艦)」の記事については、「ピラーニャ (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第3、第4の哨戒 1944年11月 - 1945年4月のページへのリンク