第3、第4の哨戒 1944年12月 - 1945年5月とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第3、第4の哨戒 1944年12月 - 1945年5月の意味・解説 

第3、第4の哨戒 1944年12月 - 1945年5月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/24 03:28 UTC 版)

ハードヘッド (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1944年12月 - 1945年5月」の解説

12月24日ハードヘッド3回目の哨戒ベスゴ (USS Besugo, SS-321)、ブラックフィン (USS Blackfin, SS-322) とウルフパック構成し南シナ海向かった1945年2月2日ハードヘッド北緯0400東経10330分 / 北緯4.000度 東経103.500度 / 4.000; 103.500のマレー半島東岸第十南進丸(南方油槽船、834トン)を撃沈。他に数隻の船を破壊し艦船攻撃の他にシンガポール攻撃するB-29への救助任務にも就いた2月15日ハードヘッド53日間行動終えてフリーマントル帰投した。 3月20日ハードヘッド4回目の哨戒南シナ海仏領インドシナおよびタイランド湾方面向かった。この哨戒では特別の機雷敷設任務含まれていた。4月2日夜、ハードヘッドインドシナ半島カモー岬沖に機雷敷設し特別任務完了その後タイランド湾移動し4月6日には北緯0918東経10250分 / 北緯9.300度 東経102.833度 / 9.300; 102.833の地点貨物船荒尾山丸(三井船舶、6,886トン)を撃沈した4月11日から15日にかけては一旦スービック湾入り燃料弾薬補給したのち哨戒再開引き続き南シナ海行動したものの、敵艦船との接触はなかった。アメリカ潜水艦はこの時点までに日本船の活動激減させていた。5月15日ハードヘッド56日間行動終えてフリーマントル帰投した。

※この「第3、第4の哨戒 1944年12月 - 1945年5月」の解説は、「ハードヘッド (潜水艦)」の解説の一部です。
「第3、第4の哨戒 1944年12月 - 1945年5月」を含む「ハードヘッド (潜水艦)」の記事については、「ハードヘッド (潜水艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第3、第4の哨戒 1944年12月 - 1945年5月」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第3、第4の哨戒 1944年12月 - 1945年5月」の関連用語

第3、第4の哨戒 1944年12月 - 1945年5月のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第3、第4の哨戒 1944年12月 - 1945年5月のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのハードヘッド (潜水艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS