第3、第4の哨戒 1944年4月 - 7月
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「アポゴン (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1944年4月 - 7月」の解説
4月2日、アポゴンは3回目の哨戒で日本近海に向かった。2日後の4月4日にジョンストン島で給油した後、哨戒海域に向かった。しかし、出港の翌日に乗組員が20ミリ機銃を整備していた際、弾倉に残っていたカートリッジが乗組員の足の上に落ち負傷させたため、アポゴンはこの負傷した乗組員を上陸させるべくジョンストン島に戻った。負傷した乗組員を上陸させた後、4月6日に再出撃した。この哨戒では目立った戦果はなかった。5月22日、アポゴンは49日間の行動を終えてマジュロに帰投した。 6月8日、アポゴンは4回目の哨戒でガードフィッシュ (USS Guardfish, SS-217) 、スレッシャー (USS Thresher, SS-200) 、ピラーニャ (USS Piranha, SS-389) とウルフパックを構成しルソン海峡方面に向かった。7月12日、アポゴン以下のウルフパックは、バタン諸島近海でモマ01船団を発見。アポゴンはそのうちの1隻である日蘭丸(南洋海運、6,503トン)を攻撃しつつあった時、日蘭丸はアポゴンの潜望鏡を発見し突進してきた。アポゴンは艦尾発射管からの攻撃に切り替えて攻撃態勢を整えつつあったその時、アポゴンの右手にあった陸軍特殊船摩耶山丸(三井船舶、9,433トン)がアポゴンの潜望鏡に向けて体当たり攻撃と爆雷投下を行った。潜望鏡は2本とも破損し、レーダーもねじ曲げられた。アポゴンは哨戒を打ち切り、7月22日にミッドウェー島に到着して潜望鏡を応急修理した。7月26日、アポゴンは37日間の行動を終えて真珠湾に帰投。潜望鏡やエンジンの交換を含む改装工事を受けた。艦長がアーサー・C・ハウス・ジュニア(アナポリス1934年組)に代わった。
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