第3、第4の哨戒 1944年8月 - 12月
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「ガヴィナ (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1944年8月 - 12月」の解説
8月16日、ガヴィナは3回目の哨戒でミンダナオ島方面に向かった。8月23日にゼーアドラー湾に寄港。8月31日、ガヴィナは北緯05度54分 東経124度49分 / 北緯5.900度 東経124.817度 / 5.900; 124.817のサランガニ島近海で2隻の沿岸汽船を発見し、海岸際まで追いかけて最終的に破壊した。担当海域に到着の後、ガヴィナはダバオ湾(英語版)南方とモルッカ海の北方で救助任務に従事した。救助任務を終えた後、9月15日に北緯05度34分 東経125度23分 / 北緯5.567度 東経125.383度 / 5.567; 125.383のミンダナオ島沿岸で座礁している第3号輸送艦を発見。ガヴィナは、第3号輸送艦を香取型巡洋艦と判断していた。最初の攻撃で魚雷を6本発射し、4本を命中させた。二度目の雷撃では2本発射するも命中せず。第3号輸送艦は炎上していたが沈没の気配を見せなかったため、ガヴィナは止めの魚雷を1本ずつ計4本発射してすべて命中させ、ようやく第3号輸送艦を撃沈した。翌9月16日にも北緯05度12分 東経124度32分 / 北緯5.200度 東経124.533度 / 5.200; 124.533の地点で小型トロール船を発見し、魚雷を1本ずつ計2本発射したが命中しなかった。9月29日、ガヴィナは44日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。 10月27日、ガヴィナは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。11月5日にダーウィンに寄港して燃料油、潤滑油と清水を補給。哨区に入ったあとの11月15日夜、ガヴィナは北緯12度28分 東経120度50分 / 北緯12.467度 東経120.833度 / 12.467; 120.833のミンドロ海峡で輸送船団を探知。魚雷を1本ずつ計3本発射し、2本の魚雷が命中した目標は沈没したと判定される。アメリカ側記録では、ガヴィナのこの攻撃で、シマ04船団に加入していた輸送船豊丸(中川汽船、2,704トン)を撃沈したとするが、日本側記録では、シマ04船団は前日11月14日に第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)の艦載機による空襲を受けており、豊丸は10時44分ごろに沈没したとある。11月22日には、北緯10度18分 東経114度15分 / 北緯10.300度 東経114.250度 / 10.300; 114.250の南沙諸島長島沖で漂泊中の輸送船同和丸(日東汽船、1,916トン)を発見し、ここでも魚雷を1本ずつ計2本発射して、2本とも命中させて19時45分に撃沈した。この近辺には、フラウンダー (USS Flounder, SS-251) の攻撃を受けて大破し漂流していた輸送船暁山丸(拿捕船、5,698トン)がいた。11月23日、ガヴィナは北緯10度22分 東経114度22分 / 北緯10.367度 東経114.367度 / 10.367; 114.367の地点で漂流中の暁山丸を発見し、魚雷を1本ずつ計3本発射して1本を命中させて撃沈した。この経緯から暁山丸撃沈はガヴィナとフラウンダーの共同戦果となったが、日本側記録では暁山丸の沈没を11月26日とする。しかし、ガヴァナは11月26日に戦闘行動を行っていない。11月28日には北緯12度52分 東経109度29分 / 北緯12.867度 東経109.483度 / 12.867; 109.483のインドシナ半島ヴァレラ岬沖で輸送船団を発見し、魚雷を3本発射して2つの爆発を聴取し輸送船撃沈と判定されたが、反撃を受けて退散した。12月11日から17日まではカムラン湾沖で哨戒を行った。12月18日には北緯11度20分 東経109度28分 / 北緯11.333度 東経109.467度 / 11.333; 109.467の地点で2隻の海防艦を発見して魚雷を計6本発射したが、命中しなかった。12月27日、ガヴィナは60日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がラルフ・H・ロックウッド少佐(アナポリス1938年組)に代わった。
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