第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年2月とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年2月の意味・解説 

第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年2月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 18:40 UTC 版)

パーチ (SS-313)」の記事における「第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年2月」の解説

9月19日パーチ3回目の哨戒東シナ海および黄海向かったミッドウェー島エスカラー (USS Escolar, SS-294)、クローカー (USS Croaker, SS-246) とウルフパック組んだ後、哨区に向かって航行していたが、次第最先任艦であるエスカラーとは連絡取れなくなっていった。10月17日交信をした後、エスカラー消息途絶えたその後日本本土空襲開始したB-29対す支援従事する一方10月26日には大型船護衛艦発見して2度にわたる攻撃行ったが、成功しなかった。11月8日パーチ48日間行動終えてサイパン島帰投した。その後ブリスベン回航され、次の哨戒備えてダーウィン進出し12月28日到着した12月29日パーチ4回目の哨戒南シナ海向かったバラバク海峡越えて海南島沖からシンガポール方面まで広く哨戒したものの、敵艦発見することはなかった。1945年2月19日パーチ59日間行動終えてフリーマントル帰投した。

※この「第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年2月」の解説は、「パーチ (SS-313)」の解説の一部です。
「第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年2月」を含む「パーチ (SS-313)」の記事については、「パーチ (SS-313)」の概要を参照ください。


第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年2月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/24 20:33 UTC 版)

ブルーギル (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年2月」の解説

9月18日ブルーギル3回目の哨戒アングラー (USS Angler, SS-240) とともにマカッサル海峡スールー海パラワン水道およびマニラ近海方面向かった北上してシブヤン海進み10月6日には北緯13度13東経12231分 / 北緯13.217度 東経122.517度 / 13.217; 122.517の地点で1,500トン輸送船発見し浮上砲戦打撃与えたが沈む気配がなく、魚雷を1本発射して止めとした。海上トラック狩り続き10月12日には北緯0753東経12209分 / 北緯7.883度 東経122.150度 / 7.883; 122.150の地点樹木偽装した3隻の海上トラックを見つけ出し浮上砲戦仕掛けるも猛烈な反撃受けて負傷者続出したしかしながら最終的にはこの海上トラック撃ち沈めた10月18日朝、ブルーギル合流していたレイトン (USS Raton, SS-270) と哨戒していたところ、北緯14度04東経11952分 / 北緯14.067度 東経119.867度 / 14.067; 119.867のルバング島北西25キロ地点で、空襲避けるためにマニラから避退してきた輸送船団発見最初二番目目標に対して魚雷3本ずつ発射し最初目標に2本命中して撃沈二番目目標未確認目標不確定ながら1本ずつの命中があったと判定される爆雷攻撃受けてひとまず避退し、昼前に朝の攻撃損傷した7,500トン輸送船新たな目標に対して魚雷を6本発射。4本が命中して2つ爆発確認するが、直後から間隔の短い爆雷攻撃制圧される。夕方になって浮上し未だ浮いていた7,500トン輸送船護衛艦に対して魚雷を2本発射した命中せず、続く攻撃で7,500トン輸送船に対して魚雷3本発射し、2本が命中してようやく撃沈することができた。ブルーギル一連の攻撃で、3隻の陸軍輸送船あらびあ丸(大阪商船、9,480トン)、鎮西丸(北海船舶、1,999トン)と白鹿丸(辰馬汽船、8,152トン)を撃沈した10月20日午後北緯13度32東経12022分 / 北緯13.533度 東経120.367度 / 13.533; 120.367の地点で2隻の中型タンカーによる輸送船団発見したブルーギル潜航し魚雷を4本発射した命中しなかった。10月27日から10月31日まではミオス・ウンディ島下がって補給を受け、11月2日から哨戒再開したスールー海行動した目標がなく、哨区をセレベス海変えて哨戒継続した11月17日午後ブルーギル北緯0048東経11852分 / 北緯0.800度 東経118.867度 / 0.800; 118.867のマカッサル海峡輸送船団発見し攻撃しよう態勢整えるが、間もなく護衛第8号掃海艇爆雷攻撃により下方吹き飛ばされ音響兵器故障して弁という弁がことごとく壊れたが、ブルーギル辛うじて持ちこたえた11月25日ブルーギル64日間行動終えてフリーマントル帰投した。 12月19日ブルーギル4回目の哨戒南シナ海向かった南シナ海ではブリーム (USS Bream, SS-243)、バーベル (USS Barbel, SS-316) らとともにウルフパック構成して哨戒あたったが、この哨戒では遠距離二度目標発見したのみで攻撃機会もなく、戦果挙げることはなかった。その一方でアメリカ軍フィリピン占領支援の偵察従事した1945年2月10日ブルーギル52日間行動終えてフリーマントル帰投した。

※この「第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年2月」の解説は、「ブルーギル (潜水艦)」の解説の一部です。
「第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年2月」を含む「ブルーギル (潜水艦)」の記事については、「ブルーギル (潜水艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年2月」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年2月」の関連用語

第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年2月のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年2月のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのパーチ (SS-313) (改訂履歴)、ブルーギル (潜水艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS