第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年2月
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「パーチ (SS-313)」の記事における「第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年2月」の解説
9月19日、パーチは3回目の哨戒で東シナ海および黄海に向かった。ミッドウェー島でエスカラー (USS Escolar, SS-294)、クローカー (USS Croaker, SS-246) とウルフパックを組んだ後、哨区に向かって航行していたが、次第に最先任艦であるエスカラーとは連絡が取れなくなっていった。10月17日に交信をした後、エスカラーの消息は途絶えた。その後は日本本土空襲を開始したB-29に対する支援に従事する一方、10月26日には大型船と護衛艦を発見して2度にわたる攻撃を行ったが、成功しなかった。11月8日、パーチは48日間の行動を終えてサイパン島に帰投した。その後ブリスベンに回航され、次の哨戒に備えてダーウィンに進出し、12月28日に到着した。 12月29日、パーチは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。バラバク海峡を越えて海南島沖からシンガポール方面まで広く哨戒したものの、敵艦を発見することはなかった。1945年2月19日、パーチは59日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年2月
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「ブルーギル (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年2月」の解説
9月18日、ブルーギルは3回目の哨戒でアングラー (USS Angler, SS-240) とともにマカッサル海峡、スールー海、パラワン水道およびマニラ近海方面に向かった。北上してシブヤン海に進み、10月6日には北緯13度13分 東経122度31分 / 北緯13.217度 東経122.517度 / 13.217; 122.517の地点で1,500トン級輸送船を発見し、浮上砲戦で打撃を与えたが沈む気配がなく、魚雷を1本発射して止めとした。海上トラック狩りは続き、10月12日には北緯07度53分 東経122度09分 / 北緯7.883度 東経122.150度 / 7.883; 122.150の地点で樹木で偽装した3隻の海上トラックを見つけ出し、浮上砲戦を仕掛けるも猛烈な反撃を受けて負傷者が続出した。しかしながら、最終的にはこの海上トラックを撃ち沈めた。10月18日朝、ブルーギルは合流していたレイトン (USS Raton, SS-270) と哨戒していたところ、北緯14度04分 東経119度52分 / 北緯14.067度 東経119.867度 / 14.067; 119.867のルバング島北西25キロ地点で、空襲を避けるためにマニラから避退してきた輸送船団を発見。最初と二番目の目標に対して魚雷を3本ずつ発射し、最初の目標に2本命中して撃沈、二番目の目標と未確認目標に不確定ながら1本ずつの命中があったと判定される。爆雷攻撃を受けてひとまず避退し、昼前に朝の攻撃で損傷した7,500トン輸送船と新たな目標に対して魚雷を6本発射。4本が命中して2つの爆発を確認するが、直後から間隔の短い爆雷攻撃で制圧される。夕方になって浮上し、未だ浮いていた7,500トン輸送船と護衛艦に対して魚雷を2本発射したが命中せず、続く攻撃で7,500トン輸送船に対して魚雷を3本発射し、2本が命中してようやく撃沈することができた。ブルーギルは一連の攻撃で、3隻の陸軍輸送船、あらびあ丸(大阪商船、9,480トン)、鎮西丸(北海船舶、1,999トン)と白鹿丸(辰馬汽船、8,152トン)を撃沈した。10月20日午後、北緯13度32分 東経120度22分 / 北緯13.533度 東経120.367度 / 13.533; 120.367の地点で2隻の中型タンカーによる輸送船団を発見したブルーギルは潜航し、魚雷を4本発射したが命中しなかった。10月27日から10月31日まではミオス・ウンディ島に下がって補給を受け、11月2日から哨戒を再開した。スールー海で行動したが目標がなく、哨区をセレベス海に変えて哨戒を継続した。11月17日午後、ブルーギルは北緯00度48分 東経118度52分 / 北緯0.800度 東経118.867度 / 0.800; 118.867のマカッサル海峡で輸送船団を発見し、攻撃しようと態勢を整えるが、間もなく護衛の第8号掃海艇の爆雷攻撃により下方へ吹き飛ばされ、音響兵器が故障して弁という弁がことごとく壊れたが、ブルーギルは辛うじて持ちこたえた。11月25日、ブルーギルは64日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 12月19日、ブルーギルは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。南シナ海ではブリーム (USS Bream, SS-243)、バーベル (USS Barbel, SS-316) らとともにウルフパックを構成して哨戒にあたったが、この哨戒では遠距離に二度目標を発見したのみで攻撃機会もなく、戦果を挙げることはなかった。その一方で、アメリカ軍のフィリピン再占領支援の偵察に従事した。1945年2月10日、ブルーギルは52日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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