第3、第4の哨戒 1945年3月 - 7月とは? わかりやすく解説

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第3、第4の哨戒 1945年3月 - 7月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/08 13:54 UTC 版)

シーフォックス (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1945年3月 - 7月」の解説

3月8日シーフォックス3回目の哨戒南シナ海および台湾近海向かった敵艦との遭遇6度あったものの、実際に攻撃したのは4月1日早朝濃霧中行われた3隻の貨物船および4隻の護衛艦から成る輸送船団対す1回のみであり、貨物船1隻に損傷与えた判断させた。同日深夜クイーンフィッシュ緑十字船の阿波丸日本郵船11,249トン)を撃沈する阿波丸事件)。翌2日シーフォックス現場海域での生存者救助積み荷残骸回収命じられた。シーフォックス生存者発見することはできなかったが、積み荷覆っていたゴムシート発見したシート一部回収した後、シーフォックス哨戒継続した4月3日シーフォックス乗員1名が他の乗員によって撃たれるという事故が生じた負傷者帰投する別の潜水艦移乗させようしたものの、荒天によって遮られ負傷者哨戒完了まで艦内休養することとなった4月中旬には、シーフォックス台湾北西部沖で日本軍対潜水艦戦部隊遭遇した哨戒機夜間多数飛行しシーフォックス充電妨げたしかしながら日中飛行しなかったため、シーフォックス浮上して急速充電行った4月16日から17日にかけての晩、シーフォックス哨戒海域離れる。ところが、19日艦首索具トラブルにより死傷者生じたため、サイパン島への帰投は遅れることとなり、4月26日サイパン島到着した5月6日シーフォックス59日間行動終えて真珠湾帰投修理行った6月7日シーフォックス4回目の哨戒日本近海向かった。この哨戒主として救助任務割り当てられ南鳥島付近で9名の陸軍パイロット救助10人目小笠原諸島近海救助した7月29日シーフォックス49日間の行動終えてミッドウェー島帰投した。整備間中戦争終了した

※この「第3、第4の哨戒 1945年3月 - 7月」の解説は、「シーフォックス (潜水艦)」の解説の一部です。
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