第3、第4の哨戒 1945年3月 - 7月
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「シーフォックス (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1945年3月 - 7月」の解説
3月8日、シーフォックスは3回目の哨戒で南シナ海および台湾近海に向かった。敵艦との遭遇は6度あったものの、実際に攻撃したのは4月1日の早朝、濃霧の中行われた3隻の貨物船および4隻の護衛艦から成る輸送船団に対する1回のみであり、貨物船1隻に損傷を与えたと判断させた。同日深夜、クイーンフィッシュが緑十字船の阿波丸(日本郵船、11,249トン)を撃沈する(阿波丸事件)。翌2日、シーフォックスは現場海域での生存者救助と積み荷の残骸回収を命じられた。シーフォックスは生存者を発見することはできなかったが、積み荷を覆っていたゴムシートを発見した。シートの一部を回収した後、シーフォックスは哨戒を継続した。4月3日、シーフォックスの乗員1名が他の乗員によって撃たれるという事故が生じた。負傷者を帰投する別の潜水艦に移乗させようとしたものの、荒天によって遮られ、負傷者は哨戒完了まで艦内で休養することとなった。4月中旬には、シーフォックスは台湾北西部沖で日本軍の対潜水艦戦部隊に遭遇した。哨戒機は夜間に多数飛行し、シーフォックスの充電を妨げた。しかしながら日中は飛行しなかったため、シーフォックスは浮上して急速充電を行った。4月16日から17日にかけての晩、シーフォックスは哨戒海域を離れる。ところが、19日に艦首索具のトラブルにより死傷者が生じたため、サイパン島への帰投は遅れることとなり、4月26日にサイパン島に到着した。5月6日、シーフォックスは59日間の行動を終えて真珠湾に帰投。修理を行った。 6月7日、シーフォックスは4回目の哨戒で日本近海に向かった。この哨戒は主として救助艦任務に割り当てられ、南鳥島付近で9名の陸軍パイロットを救助、10人目は小笠原諸島近海で救助した。7月29日、シーフォックスは49日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。整備期間中に戦争は終了した。
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