第3、第4の哨戒 1944年6月 - 10月とは? わかりやすく解説

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第3、第4の哨戒 1944年6月 - 10月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 14:40 UTC 版)

フラッシャー (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1944年6月 - 10月」の解説

6月19日フラッシャー3回目の哨戒アングラー、クレヴァルとともにウルフパック構成し南シナ海向かった。ところが、6月22日燃料補給のためエクスマウス湾(英語版)に立ち寄った際に乗組員一人急病になり、退艦の上でOS2U キングフィッシャー乗せられ医療施設搬送されていった6月28日深夜フラッシャー北緯0044東経10532分 / 北緯0.733度 東経105.533度 / 0.733; 105.533のシンガポール海峡南東130キロ地点で、海防艦などを伴ったミシ03船団発見したフラッシャー護衛艦察知されないよう慎重に近づき日付6月29日変わってから攻撃開始。まず先頭二番目輸送船に対して魚雷3本発射し転舵してから三番目目標に対して艦尾発射管から魚雷を4本発射魚雷は2本が輸送船日邦丸(元スウェーデン船ニンボー、日本郵船、6,079トン)に命中し、日邦丸は船首から沈没水上機母艦能登呂にも1本以上が命中して大破した7月1日アングラー、クレヴァルと会合し新たな哨区を確認したあと、ヴァレラ近海の哨区に到着する7月7日夜、フラッシャーレーダー目標探知して追跡し日付7月8日に変わる前後北緯13度08東経10928分 / 北緯13.133度 東経109.467度 / 13.133; 109.467の地点魚雷を4本発射魚雷は1本が特設運送船第二号興東丸朝鮮郵船、3,557トン)に命中して撃沈しばらくしてから激し爆雷攻撃があったものの、難なく切り抜けた7月13日朝には輸送船団発見して接近試みるが、船団中の輸送船六甲丸東亜海運、3,038トン)に通報され制圧される。7月18日から19日にかけて荒天見舞われるが、その最中7月19日午前フラッシャー北緯13度12東経11452分 / 北緯13.200度 東経114.867度 / 13.200; 114.867の地点目視により「球磨型軽巡洋艦」を発見する駆逐艦敷波従えマニラからシンガポール向かっていた軽巡洋艦大井はこの日の早朝フラッシャー思われる潜水艦探知し回避運動行っていたが、燃料考慮して18ノット速力シンガポール急行していた。フラッシャー最初大井前方位置していたが、大井依然ジグザグ運動をするので大井前方横切って艦尾発射管から攻撃する態勢をとった。12時14分、フラッシャー大井に対して魚雷を4本発射した3本大井かすめたものの、残る魚雷1本が左舷機関室付近に命中したため、大井後部機械室火災前部機械室蒸気漏れにより航行停止した敷波爆雷攻撃行っている間に、フラッシャー14時30分に2回目魚雷発射実施大井左舷側から魚雷を4本発射したが、3本は偏斜して大井艦首をかすめさり、残り1本は行方不明となったフラッシャー一度現場去って浮上しアングラーとクレヴァルにこちらに向かうよう打電した後、3回目魚雷攻撃実施すべく深度45メートル潜って作業行いながら大井三度接近していったが、この間大井損傷部から艦体を切断し、その部分から急速に沈没していった。フラッシャー大井の姿を見ることはもはやなく、救助作業行っている敷波の姿しか見なかった。7月25日朝、フラッシャー輸送船団シンガポールから日本向かっていたヒ68船団からのものと思しき煙を発見しアングラーとクレヴァルにその旨通報して迎撃態勢に移る。午後、クレヴァルが2隻の陸軍輸送船安芸丸日本郵船11,409トン)と東山丸大阪商船、8,666トンに対して魚雷発射したが、両船とも回避したヒ68船団全速力北上続けたが、行く手にはアングラーから通報受けたフラッシャーが立ちふさがり北緯1810東経11756分 / 北緯18.167度 東経117.933度 / 18.167; 117.933の地点一番目三番目輸送船魚雷3本ずつ発射したあと、転舵して離脱魚雷安芸丸東山丸に1本ずつ、2TMタンカー大鳥山丸(三井船舶、5,280トン)に2本が命中し大鳥山丸は燃料引火の末に大爆発起こして沈没安芸丸および東山丸航行不能被害を受けるこのあとアングラー特設運送艦聖川丸川崎汽船、6,862トン)に魚雷を1本命中させて聖川丸高雄回航され、クレヴァルは早朝午前二度攻撃安芸丸東山丸に再び魚雷命中させ、安芸丸間もなく沈没し東山丸7月27日早朝弾薬引火し丸一日経た7月27日午前爆沈した。魚雷全て使い果たしたフラッシャーはクレヴァルからの戦果報告受信したのち、ミンドロ海峡から南下していった。8月7日フラッシャー49日間の行動終えてフリーマントル帰投した。 8月30日フラッシャー4回目の哨戒ルソン島西岸部に向かった。この哨戒間中フィリピン侵攻先立つ第38任務部隊マーク・ミッチャー中将)の救助任務担当していた。9月18日10時48分、フラッシャー北緯14度20東経12005分 / 北緯14.333度 東経120.083度 / 14.333; 120.083のマニラ西方バターン半島マリベレス西南西30キロ地点で、ヒ75船団から分離してマニラ向かっていた特設巡洋艦西貢丸(大阪商船、5,350トン)、水上機母艦秋津洲駆逐艦卯月夕月発見魚雷を5本発射し、うち2本が西貢丸に命中して搭載機雷爆発により轟沈した。9月27日朝には北緯15度32東経11716分 / 北緯15.533度 東経117.267度 / 15.533; 117.267の地点ミマ11船団発見魚雷を4本発射し、うち2本が陸軍うらる丸大阪商船、6,375トン)に命中し左舷側に倒れて沈没した9月29日にはボーンフィッシュ (USS Bonefish, SS-223) およびレイポン (USS Lapon, SS-260) と会合して、哨区に再編成が行われる。10月4日朝、フラッシャー北緯15度26東経11949分 / 北緯15.433度 東経119.817度 / 15.433; 119.817のパラウイ岬の西方5キロ地点でミ19船団発見し、2隻の輸送船に対して魚雷3本ずつ発射魚雷輸送船大敏丸(大阪商船、6,886トン)に1本が命中して撃沈した10月6日朝にも北緯15度31分 東経11948分 / 北緯15.517度 東経119.800度 / 15.517; 119.800の地点輸送船団に対して魚雷を4本発射したが、命中しなかった。10月20日フラッシャー51日間行動終えてフリーマントル帰投艦長ジョージ・W・グライダー中佐アナポリス1936年組)に代わった。

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