第3、第4の哨戒 1944年2月 - 6月
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「ラッシャー (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1944年2月 - 6月」の解説
2月19日、ラッシャーは3回目の哨戒でジャワ海を経てセレベス海方面に向かった。2月25日20時45分ごろ、ラッシャーは南緯07度41分 東経115度10分 / 南緯7.683度 東経115.167度 / -7.683; 115.167のバリ島シガラジャ北方40キロ地点でスラバヤからアンボンに向かっていた輸送船団を発見し、魚雷を4本発射。輸送船丹後丸(拿捕船、6,200トン)に3本命中させて撃沈し、2時間後には南緯07度55分 東経115度15分 / 南緯7.917度 東経115.250度 / -7.917; 115.250の地点で陸軍輸送船隆西丸(中村汽船、4,805トン)に対して魚雷を4本発射し、うち3本命中させて撃沈した。隆西丸には陸軍兵士や船員など6,600名乗船していたが、そのうち兵士や船員合わせて4,968名が戦死した。3月3日には北緯03度17分 東経123度55分 / 北緯3.283度 東経123.917度 / 3.283; 123.917のセレベス島マナド北方で輸送船団を発見し、追跡途中に航空機を発見したため中断するが、夜に入って再び発見して魚雷を6本発射。魚雷は陸軍輸送船日泰丸(日産汽船、6,484トン)に命中してこれを撃沈する。3月4日夜にも別の輸送船団を発見し、翌3月5日未明に北緯02度43分 東経126度44分 / 北緯2.717度 東経126.733度 / 2.717; 126.733の地点で魚雷を2本と4本の計6本発射して、1本の命中を確認。明け方にさらに魚雷を4本発射したが、命中しなかった。3月12日には南緯07度57分 東経116度15分 / 南緯7.950度 東経116.250度 / -7.950; 116.250の地点で哨戒艦艇を発見し、魚雷を4本発射したが当たらなかった。3月19日1138、南緯08度02分 東経115度25分 / 南緯8.033度 東経115.417度 / -8.033; 115.417のバリ島北方沖で呂112を発見し、艦尾から魚雷4本を発射したが、呂112が進路を変更したため命中しなかった。3月27日、ラッシャーは南緯07度27分 東経115度55分 / 南緯7.450度 東経115.917度 / -7.450; 115.917のロンボク海峡で4隻の輸送船からなる輸送船団を発見し、二度にわたって魚雷を6本発射。この攻撃で陸軍輸送船日南丸(日産汽船、2,732トン)を撃沈した。4月4日、ラッシャーは45日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 4月30日、ラッシャーは4回目の哨戒でセレベス海に向かった。5月11日午後、ラッシャーは南緯02度36分 東経126度02分 / 南緯2.600度 東経126.033度 / -2.600; 126.033のブル島近海で5隻の輸送船団を発見し、翌5月12日未明まで七度にわたって魚雷を全て発射。これだけ攻撃を重ねたにもかかわらず、南緯03度28分 東経126度03分 / 南緯3.467度 東経126.050度 / -3.467; 126.050の地点で特設運送船朝威丸(太興汽船、1,074トン)を撃沈しただけにとどまった。その後、5月17日に空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) とイギリス空母イラストリアス (HMS Illustrious, R87) の搭載機がスラバヤを空襲する(トランサム作戦)予定だったので、攻撃を支援する8隻の潜水艦の1隻にラッシャーも選ばれ、ラッシャーはジャワ島の北方に位置して搭乗員救助と脱出艦船に対する攻撃を命じられた。空襲は成功裏に終わり、ラッシャーは5月21日にダーウィンに寄港して補給を行ったあと、元の任務に戻った。5月24日、ラッシャーは南緯02度05分 東経127度28分 / 南緯2.083度 東経127.467度 / -2.083; 127.467の地点でボアノ島近海でセイルボートを発見し、20ミリ機銃で撃沈した。5月29日午後には北緯03度40分 東経126度58分 / 北緯3.667度 東経126.967度 / 3.667; 126.967のミンダナオ島南方で単独航行の特設運送船安州丸(朝鮮郵船、2,601トン)を発見し、魚雷を3本発射して1本を命中させたが沈没せず、逆に爆雷攻撃を受ける。ラッシャーは追撃を続け、日付が5月30日に変わった直後に再び魚雷を発射し、この攻撃で安州丸の後部に魚雷を命中させて撃沈することができた。6月8日午後には、北緯03度04分 東経124度02分 / 北緯3.067度 東経124.033度 / 3.067; 124.033のセレベス島マナド沖で「浅間型練習艦」と「天津風型駆逐艦」を発見し、「浅間型練習艦」こと特務艦塩屋に対して魚雷を6本発射、5本命中させて撃沈した。6月14日、ラッシャーは北緯04度35分 東経122度23分 / 北緯4.583度 東経122.383度 / 4.583; 122.383の地点で2隻の護衛艦を配した輸送船団を発見し、三度にわたって魚雷を計5本発射し、陸軍輸送船広安丸(広海汽船、3,183トン)の船尾に魚雷を命中させて撃沈した。6月17日には南緯03度46分 東経128度05分 / 南緯3.767度 東経128.083度 / -3.767; 128.083の地点で中型輸送船に対して魚雷を発射して1本を命中させたと判断した。6月30日、ラッシャーは55日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がヘンリー・G・ムンソン中佐(アナポリス1932年組)に代わった。
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