第3、第4の哨戒 1944年2月 - 6月とは? わかりやすく解説

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第3、第4の哨戒 1944年2月 - 6月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 06:49 UTC 版)

ラッシャー (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1944年2月 - 6月」の解説

2月19日ラッシャー3回目の哨戒ジャワ海経てセレベス海方面向かった2月25日20時45分ごろ、ラッシャー南緯0741東経11510分 / 南緯7.683度 東経115.167度 / -7.683; 115.167のバリ島シガラジャ北方40キロ地点スラバヤからアンボン向かっていた輸送船団発見し魚雷を4本発射輸送船丹後丸(拿捕船、6,200トン)に3本命中させて撃沈し、2時間後には南緯0755東経11515分 / 南緯7.917度 東経115.250度 / -7.917; 115.250の地点陸軍輸送船西丸中村汽船、4,805トンに対して魚雷を4本発射し、うち3本命中させて撃沈した。隆西丸には陸軍兵士船員など6,600乗船していたが、そのうち兵士船員合わせて4,968名が戦死した3月3日には北緯0317東経12355分 / 北緯3.283度 東経123.917度 / 3.283; 123.917のセレベス島マナド北方輸送船団発見し追跡途中航空機発見したため中断するが、夜に入って再び発見して魚雷を6本発射魚雷陸軍輸送船日泰丸(日産汽船、6,484トン)に命中してこれを撃沈する3月4日夜に別の輸送船団発見し、翌3月5日未明北緯0243東経12644分 / 北緯2.717度 東経126.733度 / 2.717; 126.733の地点魚雷を2本と4本の計6本発射して、1本の命中確認明け方にさらに魚雷を4本発射したが、命中しなかった。3月12日には南緯0757東経11615分 / 南緯7.950度 東経116.250度 / -7.950; 116.250の地点哨戒艦艇発見し魚雷を4本発射したが当たらなかった。3月19日1138南緯0802東経11525分 / 南緯8.033度 東経115.417度 / -8.033; 115.417のバリ島北方沖で呂112発見し艦尾から魚雷4本を発射したが、呂112進路変更したため命中しなかった。3月27日ラッシャー南緯0727東経11555分 / 南緯7.450度 東経115.917度 / -7.450; 115.917のロンボク海峡で4隻の輸送船からなる輸送船団発見し二度わたって魚雷を6本発射。この攻撃陸軍輸送船日南丸(日産汽船、2,732トン)を撃沈した4月4日ラッシャー45日間行動終えてフリーマントル帰投した。 4月30日ラッシャー4回目の哨戒セレベス海向かった5月11日午後ラッシャー南緯0236東経12602分 / 南緯2.600度 東経126.033度 / -2.600; 126.033のブル島近海で5隻の輸送船団発見し、翌5月12日未明まで七度わたって魚雷全て発射これだけ攻撃重ねたにもかかわらず南緯0328東経12603分 / 南緯3.467度 東経126.050度 / -3.467; 126.050の地点特設運送船朝威丸(太興汽船、1,074トン)を撃沈しただけにとどまったその後5月17日空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) とイギリス空母イラストリアス (HMS Illustrious, R87) の搭載機スラバヤ空襲する(トランサム作戦予定だったので、攻撃支援する8隻の潜水艦の1隻にラッシャー選ばれラッシャージャワ島北方位置して搭乗員救助脱出艦船対す攻撃命じられた。空襲成功裏終わりラッシャー5月21日ダーウィン寄港して補給行ったあと、元の任務戻った5月24日ラッシャー南緯0205東経12728分 / 南緯2.083度 東経127.467度 / -2.083; 127.467の地点でボアノ島近海でセイルボートを発見し20ミリ機銃撃沈した5月29日午後に北緯0340東経12658分 / 北緯3.667度 東経126.967度 / 3.667; 126.967のミンダナオ島南方単独航行特設運送船安州丸(朝鮮郵船、2,601トン)を発見し魚雷3本発射して1本を命中させたが沈没せず、逆に爆雷攻撃を受ける。ラッシャー追撃続け日付5月30日変わった直後に再び魚雷発射し、この攻撃安州丸の後部魚雷命中させて撃沈することができた。6月8日午後には、北緯0304東経12402分 / 北緯3.067度 東経124.033度 / 3.067; 124.033のセレベス島マナド沖で「浅間型練習艦」と「天津風駆逐艦」を発見し、「浅間型練習艦」こと特務艦塩屋に対して魚雷を6本発射、5本命中させて撃沈した6月14日ラッシャー北緯0435東経12223分 / 北緯4.583度 東経122.383度 / 4.583; 122.383の地点で2隻の護衛艦配した輸送船団発見し三度わたって魚雷を計5本発射し陸軍輸送船広安丸(広海汽船、3,183トン)の船尾魚雷命中させて撃沈した6月17日には南緯0346東経12805分 / 南緯3.767度 東経128.083度 / -3.767; 128.083の地点中型輸送船に対して魚雷発射して1本を命中させたと判断した6月30日ラッシャー55日間行動終えてフリーマントル帰投艦長ヘンリー・G・ムンソン中佐アナポリス1932年組)に代わった。

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