第1、第2、第3、第4の哨戒 1944年2月 - 12月
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「バーフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第1、第2、第3、第4の哨戒 1944年2月 - 12月」の解説
2月2日、バーフィッシュは最初の哨戒でトラック諸島方面に向かった。2月17日のトラック島空襲ではトラック周辺海域を包囲する潜水艦の1隻として、トラック西方に位置して脱出艦船攻撃と第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)艦載機のパイロットに対する支援に従事した。攻撃前の2月14日に輸送船団を攻撃し、2月29日と3月3日には4,000トン級貨物船を攻撃した。担当海域に撃墜された味方パイロットはいなかった。3月22日、バーフィッシュは50日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 4月14日、バーフィッシュは2回目の哨戒で日本近海に向かった。5月7日7時33分、バーフィッシュは北緯33度14分 東経134度40分 / 北緯33.233度 東経134.667度 / 33.233; 134.667の大島沖で、石油を積んで神戸港から南方に向かいつつあったドイツの柳船タンカーロスバッハ(Rossbach、5,984トン)に向けて魚雷を3本発射し、うち2本を命中させてロスバッハを撃沈した。6月4日、バーフィッシュは52日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 7月11日、バーフィッシュは3回目の哨戒でパラオ方面に向かった。しかし、46日間に及ぶ行動で戦果を挙げることはできなかった。8月27日、バーフィッシュはマジュロに帰投した。 9月19日、バーフィッシュは4回目の哨戒で日本近海に向かった。10月25日前後のレイテ沖海戦では南西諸島近海で哨戒し、落ちゆく小沢治三郎中将率いる機動部隊を待ち伏せたが捕らえる事はできなかった。その後小笠原諸島近海に移動し、特設監視艇攻撃に従事した。11月17日、バーフィッシュは北緯32度15分 東経140度00分 / 北緯32.250度 東経140.000度 / 32.250; 140.000の地点で僚艦ロンクィル (USS Ronquil, SS-396) とともに特設監視艇ふさ丸(千葉県、176トン)を攻撃し撃破した。しかし、この戦闘の最中にロンクィルが自艦に40ミリ機関砲を誤って撃ち込んで損傷させ戦線離脱。バーフィッシュもふさ丸に止めを刺すことは出来なかった。12月2日、バーフィッシュは69日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がモートン・H・レイル(アナポリス1937年組)に代わった。
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