第1、第2、第3の哨戒 1942年6月 - 12月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/06 22:29 UTC 版)
「グルーパー (潜水艦)」の記事における「第1、第2、第3の哨戒 1942年6月 - 12月」の解説
グルーパーは最初の哨戒で、まずミッドウェー海戦に僚艦とともに参加。6月4日、グルーパーは炎上する日本空母2隻を目撃したが攻撃はできず、戦闘機による機銃掃射と170個以上の対潜爆雷による攻撃を受けた。翌5日には急降下爆撃機の攻撃を避けて潜航した。その後、ミッドウェー島に3日間停泊。補給後の6月12日、グルーパーは東シナ海に向かった。6月25日午前、グルーパーは北緯28度54分 東経136度54分 / 北緯28.900度 東経136.900度 / 28.900; 136.900の地点で特設運送船第二図南丸(日本水産、19,262トン)を発見し、魚雷を4本発射して撃破した。6月27日には氷川丸(日本郵船、11,622トン)クラスと思われる病院船を発見。その後は南西諸島および台湾近海で哨戒した。7月6日には、北緯28度43分 東経127度11分 / 北緯28.717度 東経127.183度 / 28.717; 127.183の地点で台湾航路の貨客船富士丸(日本郵船、9,138トン)に対して魚雷を二度にわたり6本発射し、1本が命中したと判断された。7月30日、グルーパーは56日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がロブ・ロイ・マクレガー少佐(アナポリス1929年組)に代わった。 8月28日、グルーパーは2回目の哨戒で東シナ海に向かった。9月21日、グルーパーは台湾海峡で陸軍輸送船利根丸(玉井商船、4,070トン)を撃沈。10月1日には北緯30度17分 東経123度13分 / 北緯30.283度 東経123.217度 / 30.283; 123.217の舟山群島東方で、陸軍輸送船りすぼん丸(日本郵船、7,053トン)に魚雷を命中させ、りすぼん丸は上海に向けて曳航されたものの、翌2日についに沈没した。りすぼん丸には日本陸軍将兵780名と、香港の戦いで捕虜となったイギリス軍将兵1,819名あまりが乗っており、沈没による捕虜の死者は溺死や射殺などで800人を超えた。日本側は、アメリカ潜水艦が味方の捕虜が乗った輸送船を撃沈したことを喧伝し、アメリカ側も後日、日本の海外放送を傍受してりすぼん丸撃沈を知った。10月21日、グルーパーは53日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 11月12日、グルーパーは3回目の哨戒でソロモン諸島方面に向かった。ラバウルとブーゲンビル島、ショートランド諸島間の交通路を哨戒し、12月8日には南緯05度45分 東経154度13分 / 南緯5.750度 東経154.217度 / -5.750; 154.217の地点で2隻の輸送船に対して魚雷を発射して、うち1本が命中したと判断された。12月17日、グルーパーは南緯04度55分 東経154度25分 / 南緯4.917度 東経154.417度 / -4.917; 154.417のブカ島北西海域で輸送船団を発見し、陸軍輸送船バンドン丸(南洋海運、4,003トン)を撃沈した。12月31日、グルーパーは49日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。
※この「第1、第2、第3の哨戒 1942年6月 - 12月」の解説は、「グルーパー (潜水艦)」の解説の一部です。
「第1、第2、第3の哨戒 1942年6月 - 12月」を含む「グルーパー (潜水艦)」の記事については、「グルーパー (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第1、第2、第3の哨戒 1942年6月 - 12月のページへのリンク