第1、第2、第3の哨戒 1944年3月 - 10月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/24 20:32 UTC 版)
「バッショー (潜水艦)」の記事における「第1、第2、第3の哨戒 1944年3月 - 10月」の解説
3月10日、バッショーは最初の哨戒でミンダナオ海およびパラオ方面に向かった。ランゲマク湾(英語版)で燃料を補給ののち、ブラックフィッシュ (USS Blackfish, SS-221) とともに行動する。3月21日夕刻、バッショーはパラオ沖で目標を発見し、夜に入って北緯06度55分 東経136度17分 / 北緯6.917度 東経136.283度 / 6.917; 136.283の地点で魚雷を6本発射して1本を命中させ、5,000トン級輸送船1隻の撃沈を報じた。この攻撃で特設工作艦浦上丸(福洋汽船、4,317トン)に損傷を与えた。4月5日、バッショーは「ダバオから日本艦隊が出撃してくる」との司令部からの情報に基づき、ダバオ湾(英語版)でパラオからリンガ泊地に向かう第二艦隊(栗田健男中将)の一隊が出てくるのを待ち構えていた。間もなく、バッショーは「吹雪型駆逐艦」と「千鳥型水雷艇」と思しき目標をレーダーで探知。バッショーは目標に9キロまで接近したが、結局攻撃できなかった。一旦マヌス島ゼーアドラー湾に戻って補給を行った後、4月27日夕刻には北緯03度20分 東経131度35分 / 北緯3.333度 東経131.583度 / 3.333; 131.583のハルマヘラ島近海で60トン級トロール船を発見し、撃沈した。5月9日、バッショーは60日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。 5月27日、バッショーは2回目の哨戒でダバオおよびハルマヘラ島近海に向かった。6月1日にミルン湾、6月3日にゼーアドラー湾に寄港して整備の後、哨区に到着。この頃、アメリカ軍はマリアナ諸島攻略作戦を行いつつあり、リンガ泊地に在泊中の日本艦隊が出撃してくることが予想された。そこで、司令部では多数の潜水艦をもって予想進路上に潜水艦を配置して動向を監視していた。バッショーはブリーム (USS Bream, SS-243) およびフラウンダー (USS Flounder, SS-251) とともにハルマヘラ島近海に配備されたが、担当海域を日本艦隊が通過することはなかった。6月25日未明、バッショーは北緯03度36分 東経127度14分 / 北緯3.600度 東経127.233度 / 3.600; 127.233の地点でハルマヘラ島の泊地に入りつつあった輸送船団を発見し、魚雷を6本発射して3つの爆発を確認するも「7,500トン級輸送船の撃破」という評価にとどめた。実際には、2本が陸軍輸送船山宮丸(山下汽船、6,440トン)に命中し、山宮丸は航行不能ののち沈没した。7月16日、バッショーは50日間の行動を終えてゼーアドラー湾に帰投した。 8月7日、バッショーは3回目の哨戒でミンダナオ海方面に向かった。期間の前半では主にミンダナオ島の西側を哨戒。8月28日にミオス・ウンディ島に到着して補給を受けた後、9月1日に哨戒を再開。9月7日深夜、バッショーは2隻の護衛艦を配する輸送船を発見。翌9月8日未明になり、北緯08度14分 東経121度47分 / 北緯8.233度 東経121.783度 / 8.233; 121.783の地点で魚雷を6本発射し、魚雷は3本が海軍徴傭船柳河丸(大連汽船、2,813トン)に命中してこれを撃沈した。翌日には北緯08度30分 東経124度32分 / 北緯8.500度 東経124.533度 / 8.500; 124.533のカガヤン近海で哨戒中、カガヤンの港から1隻の船が出港してくるのを発見。上空にF6F ヘルキャットの掩護を得ていたバッショーは北緯08度40分 東経124度41分 / 北緯8.667度 東経124.683度 / 8.667; 124.683の地点で浮上し、200トン級輸送船を砲撃により沈めた。その後、9月29日にゼーアドラー湾に寄港。10月4日、バッショーは55日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。
※この「第1、第2、第3の哨戒 1944年3月 - 10月」の解説は、「バッショー (潜水艦)」の解説の一部です。
「第1、第2、第3の哨戒 1944年3月 - 10月」を含む「バッショー (潜水艦)」の記事については、「バッショー (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第1、第2、第3の哨戒 1944年3月 - 10月のページへのリンク