第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年2月とは? わかりやすく解説

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第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年2月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/06 11:07 UTC 版)

シーウルフ (サーゴ級潜水艦)」の記事における「第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年2月」の解説

太平洋戦争始まった1941年12月8日シーウルフ最初哨戒ルソン島沿岸向かった機雷原抜けサンベルナルジノ海峡経由してバブヤン諸島方面日本軍艦船探索12月14日シーウルフ北緯1831分 東経12202分 / 北緯18.517度 東経122.033度 / 18.517; 122.033のポート・サンビセンテ沖で特設水上機母艦山陽丸大阪商船、8,365トン)と思われる艦船発見し放射状魚雷発射した戦果確認できなかった。シーウルフ初めての爆雷攻撃受けたものの、損害生じなかった。12月26日シーウルフ18日間の行動終えてマニラ帰投した。 12月31日シーウルフ2回目の哨戒特別任務就いたアジア艦隊司令部スタッフ乗せオーストラリア向かった1942年1月9日シーウルフ10日間の行動終えてダーウィン帰投した。 1月16日シーウルフ3回目の哨戒コレヒドール島向かったシーウルフにはコレヒドールに篭る陸軍部隊向けの50口径対空機銃弾薬30トンから40トン搭載していた。1月21日シーウルフ北緯0124東経12535分 / 北緯1.400度 東経125.583度 / 1.400; 125.583の地点朝潮型駆逐艦球磨型軽巡洋艦護衛された7隻の輸送船団発見したが、搭載していた魚雷8本を発射する機会無かった1月28日夜、シーウルフコレヒドール島南岸到着弾薬陸軍部隊渡され代わりに魚雷便乗者を乗せたシーウルフは翌1月29日コレヒドール島離れた2月7日シーウルフ22日間の行動終えてスラバヤ帰投した。

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第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年2月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:08 UTC 版)

パーミット (ポーパス級潜水艦)」の記事における「第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年2月」の解説

12月11日パーミット最初哨戒ルソン島西岸沖に向かった未明出港しコレヒドール島沖を通過して外洋出たパーミット北方針路を向け、オロンガポ(英語版近海哨戒行った12月20日パーミット9日間の行動終えてマリベレス(英語版)に帰投した。 12月22日パーミット2回目の哨戒リンガエン湾向かった。翌12月23日パーミットルソン島ボリナオ岬近海哨戒中、天霧駆逐艦思しき艦艇発見し魚雷を2本発射した回避され逆に爆雷攻撃受けた12月24日から25日にかけてリンガエン湾沖およびサンフェルナンド沖で哨戒行った後、針路を南に向けた12月27日パーミット6日間行動終えてマリベレスに帰投した。 この頃日本軍マニラ迫りつつあり、パーミット12月28日にマリベレスで、アジア艦隊司令長官トーマス・C・ハート大将幕僚乗せて先に脱出したシャーク (USS Shark, SS-174) に乗艦出来なかったロバート・リー・デニソン(英語版少佐(後に大将)、レイモンド・S・ランブ少佐(後に少将)および8名の水兵乗艦させ、ジャワ島スラバヤオランダ海軍潜水艦基地へと運ぶため、早急にマニラ脱出することとなった12月30日パーミット3回目の哨戒ミンダナオ島およびセレベス島方面向かったパナイ島沖、ネグロス島沖、スリガオ海峡通過してフィリピン離れ1942年入ってすぐにミンダナオ島沖で哨戒開始し1月中旬からは哨区をセレベス島沖に移した1月23日パーミット日本駆逐艦発見したが、爆雷攻撃を受け退散した1月27日から28日かけても輸送船団などに接触したものの、悪天候阻まれ見失ってしまった。2月6日パーミット38日間行動終えてスラバヤ帰投艦長がリフォード・G・チャップル少佐アナポリス1930年組)に代わった。日本軍ジャワへの接近始めつつあった。

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