第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年2月
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「シーウルフ (サーゴ級潜水艦)」の記事における「第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年2月」の解説
太平洋戦争が始まった1941年12月8日、シーウルフは最初の哨戒でルソン島沿岸に向かった。機雷原を抜け、サンベルナルジノ海峡を経由してバブヤン諸島方面で日本軍艦船を探索。12月14日、シーウルフは北緯18度31分 東経122度02分 / 北緯18.517度 東経122.033度 / 18.517; 122.033のポート・サンビセンテ沖で特設水上機母艦山陽丸(大阪商船、8,365トン)と思われる艦船を発見し、放射状に魚雷を発射したが戦果は確認できなかった。シーウルフは初めての爆雷攻撃を受けたものの、損害は生じなかった。12月26日、シーウルフは18日間の行動を終えてマニラに帰投した。 12月31日、シーウルフは2回目の哨戒で特別任務に就いた。アジア艦隊司令部のスタッフを乗せオーストラリアに向かった。1942年1月9日、シーウルフは10日間の行動を終えてダーウィンに帰投した。 1月16日、シーウルフは3回目の哨戒でコレヒドール島に向かった。シーウルフにはコレヒドールに篭る陸軍部隊向けの50口径対空機銃用弾薬を30トンから40トン搭載していた。1月21日、シーウルフは北緯01度24分 東経125度35分 / 北緯1.400度 東経125.583度 / 1.400; 125.583の地点で朝潮型駆逐艦、球磨型軽巡洋艦に護衛された7隻の輸送船団を発見したが、搭載していた魚雷8本を発射する機会は無かった。1月28日夜、シーウルフはコレヒドール島南岸に到着。弾薬は陸軍部隊に渡され、代わりに魚雷と便乗者を乗せたシーウルフは翌1月29日にコレヒドール島を離れた。2月7日、シーウルフは22日間の行動を終えてスラバヤに帰投した。
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第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年2月
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「パーミット (ポーパス級潜水艦)」の記事における「第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年2月」の解説
12月11日、パーミットは最初の哨戒でルソン島西岸沖に向かった。未明に出港し、コレヒドール島沖を通過して外洋に出たパーミットは北方に針路を向け、オロンガポ(英語版)近海で哨戒を行った。12月20日、パーミットは9日間の行動を終えてマリベレス(英語版)に帰投した。 12月22日、パーミットは2回目の哨戒でリンガエン湾に向かった。翌12月23日、パーミットはルソン島ボリナオ岬近海を哨戒中、天霧型駆逐艦と思しき艦艇を発見し、魚雷を2本発射したが回避され、逆に爆雷攻撃を受けた。12月24日から25日にかけてリンガエン湾沖およびサンフェルナンド沖で哨戒を行った後、針路を南に向けた。12月27日、パーミットは6日間の行動を終えてマリベレスに帰投した。 この頃、日本軍はマニラに迫りつつあり、パーミットは12月28日にマリベレスで、アジア艦隊司令長官トーマス・C・ハート大将や幕僚を乗せて先に脱出したシャーク (USS Shark, SS-174) に乗艦出来なかったロバート・リー・デニソン(英語版)少佐(後に大将)、レイモンド・S・ランブ少佐(後に少将)および8名の水兵を乗艦させ、ジャワ島スラバヤのオランダ海軍潜水艦基地へと運ぶため、早急にマニラを脱出することとなった。 12月30日、パーミットは3回目の哨戒でミンダナオ島およびセレベス島方面に向かった。パナイ島沖、ネグロス島沖、スリガオ海峡を通過してフィリピンを離れ、1942年に入ってすぐにミンダナオ島沖で哨戒を開始し、1月中旬からは哨区をセレベス島沖に移した。1月23日、パーミットは日本の駆逐艦を発見したが、爆雷攻撃を受け退散した。1月27日から28日にかけても輸送船団などに接触したものの、悪天候に阻まれて見失ってしまった。2月6日、パーミットは38日間の行動を終えてスラバヤに帰投。艦長がリフォード・G・チャップル少佐(アナポリス1930年組)に代わった。日本軍はジャワへの接近を始めつつあった。
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