第1、第2、第3の哨戒 1944年6月 - 11月
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「ブリーム (潜水艦)」の記事における「第1、第2、第3の哨戒 1944年6月 - 11月」の解説
6月1日、ブリームは最初の哨戒でバッショー (USS Bashaw, SS-241) およびフラウンダー (USS Flounder, SS-251) とともにハルマヘラ島およびモロタイ島近海に向かった。6月9日午後、ブリームは北緯02度14分 東経127度57分 / 北緯2.233度 東経127.950度 / 2.233; 127.950のモロタイ水道で第3号掃海特務艇の護衛する輸送船団を発見し、魚雷を6本発射して1つの爆発を確認し、5,000トン級輸送船の撃沈を報じる。実際には船団に被害はなく、第3号掃海特務艇と水上偵察機からの反撃を受けた。6月16日午後には北緯02度23分 東経128度43分 / 北緯2.383度 東経128.717度 / 2.383; 128.717のハルマヘラ島レライ角近海で第5号掃海艇が護衛する輸送船団を発見し、魚雷を6本発射。魚雷は2本が陸軍輸送船雄基丸(大連汽船、5,704トン)に命中してこれを撃沈し、陸軍輸送船日の出丸(日本食塩、1,916トン)にも魚雷を命中させて擱座させた。2日後の6月18日、ブリームは夜間の浮上哨戒を行うため浮上したところ、甲板が油まみれなのに気づく。やがてその原因はタンクからの燃料が漏出したものであると判断された。6月29日、ブリームは29日の行動を終えてゼーアドラー湾に帰投した。 7月21日、ブリームは2回目の哨戒でミンダナオ海方面に向かった。7月29日朝、ブリームの第2エンジンから火災が発生したが、およそ10分程度で消し止められ事なきを得た。しかし、この哨戒ではトロール船など3隻を遠距離で発見したのみで攻撃機会もなく、戦果を挙げることはなかった。9月6日、ブリームは48日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 10月2日、ブリームは3回目の哨戒でルソン島西岸部に向かった。10月9日から10日までダーウィンに寄港。10月23日朝、ブリームは北緯14度00分 東経119度27分 / 北緯14.000度 東経119.450度 / 14.000; 119.450の地点でマニラに向けて航行中の日本艦隊を発見した。この時発見したのは、レイテ島への輸送作戦を命じられた第十六戦隊(左近允尚正中将)の重巡洋艦青葉、軽巡洋艦鬼怒、駆逐艦浦波であった。3隻は青葉を中心に右舷側に浦波、左舷側に鬼怒を配してマニラに向かっていた。4時32分、ブリームは青葉に向けて魚雷を6本発射し、うち1本が青葉の前部機械室に命中。青葉は機械室等を破壊され兵器等も使用不能となり、右に傾斜して大破した。ブリームはその後もマニラ近海で哨戒を続けた。10月30日未明、ブリームはギターロ (USS Guitarro, SS-363) と合流し、ともにルソン島西岸部を北上して哨戒を行うこととした。間もなく、北緯16度03分 東経119度42分 / 北緯16.050度 東経119.700度 / 16.050; 119.700の地点で6隻から7隻の大型輸送船で構成された輸送船団を発見し、魚雷を6本発射する。2つの魚雷爆発音を聴取し、10,000トン級輸送船の撃破を報じた。11月3日、レイトン (USS Raton, SS-270) が合流し、3隻のウルフパックとなった。 11月4日、ブリーム、ギターロ、レイトンのウルフパックは北緯15度55分 東経119度44分 / 北緯15.917度 東経119.733度 / 15.917; 119.733のルソン島沿岸ダソル(英語版)湾沖でタマ31A号船団を発見した。この船団は特設運送船香久丸(大阪商船、6,806トン)と二等輸送艦4隻で構成されていた。ウルフパックは二等輸送艦には目もくれず、香久丸を攻め立てた。まずレイトンが香久丸に対して魚雷を6本発射したが回避された。次にギターロが香久丸に対して魚雷を4本発射し、1本を命中させる。ブリームは三番手として魚雷を4本発射し、1本が命中し香久丸は大火災が発生して航行不能となる。その後、タマ31A船団に接近していたレイ (USS Ray, SS-271) が航行不能の香久丸に対して魚雷を2本発射し、2本とも命中させて香久丸を撃沈した。レイトンはタマ31A船団を探知していたものの、香久丸撃沈の戦果はブリーム、ギターロおよびレイに三等分された。 11月6日朝には、ルソン島サンタクルーズ(英語版)沖でマタ31船団を発見した。この船団の中には、ブリームが大破させ日本本土に回航中の青葉の他、レイテ沖海戦で損傷し日本本土に回航される途中だった重巡洋艦熊野もいた。最初に攻撃したのはギターロで、北緯15度55分 東経119度44分 / 北緯15.917度 東経119.733度 / 15.917; 119.733の地点で艦首と艦尾の発射管から魚雷を計10本発射し、3本を「愛宕型重巡洋艦」に命中させたと判定。1時間後にはブリームの攻撃の番となり、北緯16度01分 東経119度43分 / 北緯16.017度 東経119.717度 / 16.017; 119.717の地点で魚雷を4本発射して「14,000トン級重巡洋艦」に2本命中させたと判定される。レイトンとレイはブリームが攻撃して約1時間後に相前後して攻撃し、レイトンは魚雷を6本発射して2本か3本を熊野に命中させたと報告し、レイも魚雷を4本発射して、2本を熊野に命中させたと報告した。夜に入り、レイが「被雷した最上型巡洋艦はダソル湾に逃げ込んだだろう」と報告した。 11月8日、ブリームはグロウラー (USS Growler, SS-215) と会合してSJレーダー(英語版)の部品を交換するよう命令を受け、11月10日から11日にかけてグロウラーとの会合を予定して待機していたが、グロウラーはついに姿を見せなかった。グロウラーのSJレーダーは調子がよくなかったが、不具合を報告した直後に輸送船団を探知して攻撃を仕掛け、ついに帰らなかった。代わりに、ガヴィナ (USS Guavina, SS-362) がレーダーの部品を受領することになり、11月13日に会合して部品を渡した。11月22日、ブリームは50日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がジェームズ・L・P・マッカラム中佐(アナポリス1935年組)に代わった。
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