第3、第4の哨戒 1944年2月 - 5月
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「スケート (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1944年2月 - 5月」の解説
2月5日、スケートは3回目の哨戒でトラック諸島近海に向かった。アメリカ軍は当時、エニウェトク環礁攻略の支援作戦であるトラックに対する空襲を企図しており、スケートなどの潜水艦は、救助任務とトラックから脱出してくる艦船に対する攻撃が命じられていた。2月16日、トラック北方を哨戒していたスケートは、駆逐艦追風と第28号駆潜艇に護衛されていた軽巡洋艦阿賀野を発見した。阿賀野は前年の11月12日にスキャンプ (USS Scamp, SS-277) の雷撃で損傷し、トラックで応急修理の上本土に回航されるところであった。0440、スケートは阿賀野の右舷側から4本の魚雷を発射し、うち2本が命中。阿賀野は火災を発生した後、翌17日未明に沈没した。スケートは空襲後も哨戒を続けた。3月17日、スケートは42日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 4月11日、スケートは4回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。この哨戒では、貨物船1隻に損害を与えたと記録したほか、5月19日には特設監視艇を撃沈し、日本人2人と朝鮮人1人の合計3人の捕虜を得た。5月31日、スケートは50日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
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