第3、第4の哨戒 1943年9月 - 1944年1月とは? わかりやすく解説

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第3、第4の哨戒 1943年9月 - 1944年1月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/16 15:39 UTC 版)

ピート (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1943年9月 - 1944年1月」の解説

9月1日ピート3回目の哨戒ビスマルク諸島北方方面向かった9月12日ナウル島偵察したあと、ナウル島トラック間の航路哨戒したが、5日間の哨戒いかなる船をも発見することはできなかった。9月20日になってピートトラックラバウルおよびカビエン間の航路に哨区を変え9月22日には5隻の護衛艦がついた輸送船団発見したものの、激し妨害によって攻撃機会逸し適度な距離から追跡するに留まったが、これも護衛艦からの発砲により潜航し退避せざるを得なかったため、結局この輸送船団対す攻撃はできなかった。9月24日から26日にはアドミラルティ諸島周辺哨戒したが、やはり何も見つけられなかった。9月27日から29日にかけては、「ニューギニアウエワク近郊で、撃墜され第5空軍機の搭乗員救援求めている」との情報基づいて接触ならびに救助試みたが、失敗終わった。しかし、10月1日になって、ようやく絶好チャンス訪れた夕刻北緯0400東経14350分 / 北緯4.000度 東経143.833度 / 4.000; 143.833のウォレアイ環礁周辺哨戒中、パラオからラバウルに向かうソ805船団発見し魚雷を6本発射魚雷陸軍輸送船金華山丸三井船舶、4,950トン)と特設運送船給炭油)東寧丸(大連汽船、4,930トン)の2隻に命中し、両船を撃沈した10月21日ピート51日間行動終えてブリスベン帰投した。 11月14日ピート4回目の哨戒ビスマルク諸島アドミラルティ諸島およびカロリン諸島方面向かった11月20日から24日までツラギ島寄港した後、12月1日には北緯0105東経14647分 / 北緯1.083度 東経146.783度 / 1.083; 146.783のニューアイルランド島北西海域で3隻の小艦艇護衛された2隻の船団発見魚雷を6本発射し海軍徴傭康寧丸(中村汽船、2,345トン)に3本命中させてこれを撃沈した12月9日にも北緯0357東経15016分 / 北緯3.950度 東経150.267度 / 3.950; 150.267の地点輸送船団発見し反撃かわして魚雷を6本発射した命中せず逆に護衛艦からの爆雷攻撃受けたため潜航し退避した12月19日ピート海兵隊員乗せるため一旦ツラギ島戻り12月25日タンガ諸島一つであるボアン島(Boang Island)に上陸させた。1944年1月7日ピート54日間行動終えてブリスベン帰投艦長がパウル・ヴァン・ルーネン・ジュニア少佐アナポリス1934年組)に代わった。

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