第3、第4の哨戒 1943年9月 - 1944年1月
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「ピート (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1943年9月 - 1944年1月」の解説
9月1日、ピートは3回目の哨戒でビスマルク諸島の北方方面に向かった。9月12日にナウル島を偵察したあと、ナウル島とトラック間の航路を哨戒したが、5日間の哨戒でいかなる船をも発見することはできなかった。9月20日になって、ピートはトラックとラバウルおよびカビエン間の航路に哨区を変え、9月22日には5隻の護衛艦がついた輸送船団を発見したものの、激しい妨害によって攻撃の機会を逸し、適度な距離から追跡するに留まったが、これも護衛艦からの発砲により潜航して退避せざるを得なかったため、結局この輸送船団に対する攻撃はできなかった。9月24日から26日にはアドミラルティ諸島周辺を哨戒したが、やはり何も見つけられなかった。9月27日から29日にかけては、「ニューギニアのウエワク近郊で、撃墜された第5空軍機の搭乗員が救援を求めている」との情報に基づいて接触ならびに救助を試みたが、失敗に終わった。しかし、10月1日になって、ようやく絶好のチャンスが訪れた。夕刻に北緯04度00分 東経143度50分 / 北緯4.000度 東経143.833度 / 4.000; 143.833のウォレアイ環礁周辺で哨戒中、パラオからラバウルに向かうソ805船団を発見し、魚雷を6本発射。魚雷は陸軍輸送船金華山丸(三井船舶、4,950トン)と特設運送船(給炭油)東寧丸(大連汽船、4,930トン)の2隻に命中し、両船を撃沈した。10月21日、ピートは51日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。 11月14日、ピートは4回目の哨戒でビスマルク諸島、アドミラルティ諸島およびカロリン諸島方面に向かった。11月20日から24日までツラギ島に寄港した後、12月1日には北緯01度05分 東経146度47分 / 北緯1.083度 東経146.783度 / 1.083; 146.783のニューアイルランド島北西海域で3隻の小艦艇に護衛された2隻の船団を発見。魚雷を6本発射し、海軍徴傭船康寧丸(中村汽船、2,345トン)に3本命中させてこれを撃沈した。12月9日にも北緯03度57分 東経150度16分 / 北緯3.950度 東経150.267度 / 3.950; 150.267の地点で輸送船団を発見し、反撃をかわして魚雷を6本発射したが命中せず、逆に護衛艦からの爆雷攻撃を受けたため潜航して退避した。12月19日、ピートは海兵隊員を乗せるため一旦ツラギ島に戻り、12月25日にタンガ諸島の一つであるボアン島(Boang Island)に上陸させた。1944年1月7日、ピートは54日間の行動を終えてブリスベンに帰投。艦長がパウル・ヴァン・ルーネン・ジュニア少佐(アナポリス1934年組)に代わった。
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