第3、第4の哨戒 1942年5月 - 10月
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「シール (サーモン級潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1942年5月 - 10月」の解説
5月12日、シールは3回目の哨戒で南シナ海に向かった。セレベス海とスールー海を抜け、マレー半島近海の哨戒海域に向けて進んでいった。5月28日早朝、シールは南シナ海に入り、その夜に北緯07度33分 東経116度22分 / 北緯7.550度 東経116.367度 / 7.550; 116.367の地点で陸軍船辰福丸(辰馬汽船、1,946トン)に向けて発砲し、損傷を与えた。さらに魚雷を二度にわたって発射したが命中しなかった。辰福丸は、駆けつけた僚艦ソードフィッシュ (USS Swordfish, SS-193) の雷撃により沈没した。6月7日には北緯11度35分 東経109度18分 / 北緯11.583度 東経109.300度 / 11.583; 109.300のカムラン湾沖で7隻からなる第409船団を攻撃したものの、護衛艦の特設砲艦唐山丸(東亜海運、2,103トン)と航空機の制圧により、7時間も深深度潜航を余儀なくされた。6月15日から17日までは時化に悩まされた。6月18日に至っては空気漏れを発見し、6月19日に哨戒海域を撤収した。シールはバラバク海峡を抜け、6月23日にマカッサル海峡を通過した。7月4日、シールは53日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 8月10日、シールは4回目の哨戒でインドシナ半島方面に向かった。パラダン岬以北を哨戒し、9月3日に北緯11度25分 東経109度05分 / 北緯11.417度 東経109.083度 / 11.417; 109.083の地点で、貨客船干珠丸(大阪商船、7,266トン)を撃破。干珠丸は沈没を防ぐため浅瀬に座礁した。しかし、それ以外は早期爆発などの魚雷の不調と艦からの油漏れ、空気漏れに悩まされ、思うように戦果を挙げることができなかった。10月2日、シールは53日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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第3、第4の哨戒 1942年5月 - 10月
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「スナッパー (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1942年5月 - 10月」の解説
5月29日、スナッパーは3回目の哨戒でフローレス海、マカッサル海峡および西セレベス海に向かった。集中的な努力にもかかわらず、スナッパーは価値ある目標を発見できなかった。7月16日、スナッパーは49日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 8月8日、スナッパーは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。8月19日夜、スナッパーは南緯00度12分 東経118度50分 / 南緯0.200度 東経118.833度 / -0.200; 118.833の地点で8,000トン級貨物船に対して2本の魚雷を発射したが、友鶴型水雷艇と思しき艦艇を含む護衛艦の攻撃を受けその回避を強いられ、結果を確認することはできなかった。この哨戒で観測できた他の数少ない敵艦に対しては、距離が離れすぎていたか、速度が高速だったため接近することはできなかった。10月3日、スナッパーは57日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がオーガスタス・R・サンアンジェロ少佐(アナポリス1929年組)に代わった。
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