第3、第4の哨戒 1942年12月 - 1943年4月
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「フィンバック (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1942年12月 - 1943年4月」の解説
12月16日、フィンバックは3回目の哨戒で東シナ海に向かった。1943年1月17日、フィンバックは種子島沖で特設掃海艇やちよ丸(加藤シケ、271トン)と交戦し、やちよ丸に「撃沈した」と思わせるほどの甚大なダメージを与えた。しかし、この哨戒では魚雷を使うに値しない目標ばかりが魚雷の射程圏内に入り、大型艦船は射程圏内には入ってこなかった。2月6日、フィンバックは52日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。改装を行い、艦長がジョン・A・テリー・ジュニア少佐(アナポリス1933年組)に代わった。 2月27日、フィンバックは4回目の哨戒でトラック諸島方面に向かった。3月21日、フィンバックは北緯07度49分 東経139度48分 / 北緯7.817度 東経139.800度 / 7.817; 139.800のウォレアイ環礁西方を単独航行中の特設運送艦讃岐丸(日本郵船、7,158トン)を発見し、魚雷を3本発射。うち2本が讃岐丸の船尾に命中して舵が折損し左推進器が脱落したが、讃岐丸は右舷側機械のみで航行を続けた。3月24日には北緯07度42分 東経134度12分 / 北緯7.700度 東経134.200度 / 7.700; 134.200の地点で輸送船団を発見し、26日まで追跡を行った後、26日夜に北緯05度02分 東経139度10分 / 北緯5.033度 東経139.167度 / 5.033; 139.167の地点で2隻の船舶に向けて3本を魚雷を発射したが命中しなかった。攻撃後、フィンバックは針路をウェーク島に向けて航海した。4月5日、フィンバックはウェーク島南岸に座礁している大型船を発見した。これは3月28日にタニー (USS Tunny, SS-282) の攻撃を受けて座礁した特設運送船諏訪丸(日本郵船、10,672トン)であった。フィンバックは諏訪丸に向けて魚雷2本を発射し、1本が諏訪丸の右舷後部に命中して、これで諏訪丸は完全に止めを刺された。もう1本は西方に逸れて行き、サンゴ礁に命中した。4月13日、フィンバックは44日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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