第3、第4の哨戒 1942年12月 - 1943年4月とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第3、第4の哨戒 1942年12月 - 1943年4月の意味・解説 

第3、第4の哨戒 1942年12月 - 1943年4月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/22 18:32 UTC 版)

フィンバック (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1942年12月 - 1943年4月」の解説

12月16日フィンバック3回目の哨戒東シナ海向かった1943年1月17日フィンバック種子島沖で特設掃海艇やちよ丸(加藤シケ271トン)と交戦し、やちよ丸に撃沈した」と思わせるほどの甚大なダメージ与えた。しかし、この哨戒では魚雷を使うに値しない目標ばかりが魚雷射程圏内に入り大型艦船は射程圏内には入ってこなかった。2月6日フィンバック52日間行動終えてミッドウェー島帰投改装行い艦長ジョン・A・テリー・ジュニア少佐アナポリス1933年組)に代わった。 2月27日フィンバック4回目の哨戒トラック諸島方面向かった3月21日フィンバック北緯0749東経13948分 / 北緯7.817度 東経139.800度 / 7.817; 139.800のウォレアイ環礁西方単独航行中特設運送艦讃岐丸日本郵船、7,158トン)を発見し魚雷3本発射。うち2本が讃岐丸船尾命中して舵が折損し左推進器脱落したが、讃岐丸右舷機械のみで航行続けた3月24日には北緯0742東経13412分 / 北緯7.700度 東経134.200度 / 7.700; 134.200の地点輸送船団発見し26日まで追跡行った後、26日夜に北緯0502東経13910分 / 北緯5.033度 東経139.167度 / 5.033; 139.167の地点で2隻の船舶向けて3本魚雷発射した命中しなかった。攻撃後、フィンバック針路ウェーク島向けて航海した4月5日フィンバックウェーク島南岸座礁している大型船発見した。これは3月28日タニー (USS Tunny, SS-282) の攻撃受けて座礁した特設運送船諏訪丸(日本郵船10,672トンであったフィンバック諏訪丸に向けて魚雷2本を発射し、1本が諏訪丸の右舷後部命中して、これで諏訪丸は完全に止め刺された。もう1本は西方逸れて行きサンゴ礁命中した4月13日フィンバック44日間行動終えて真珠湾帰投した。

※この「第3、第4の哨戒 1942年12月 - 1943年4月」の解説は、「フィンバック (潜水艦)」の解説の一部です。
「第3、第4の哨戒 1942年12月 - 1943年4月」を含む「フィンバック (潜水艦)」の記事については、「フィンバック (潜水艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第3、第4の哨戒 1942年12月 - 1943年4月」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第3、第4の哨戒 1942年12月 - 1943年4月」の関連用語

第3、第4の哨戒 1942年12月 - 1943年4月のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第3、第4の哨戒 1942年12月 - 1943年4月のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのフィンバック (潜水艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS