第3、第4の哨戒 1942年10月 - 1943年1月
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「プランジャー (SS-179)」の記事における「第3、第4の哨戒 1942年10月 - 1943年1月」の解説
10月12日、プランジャーは3回目の哨戒でソロモン諸島方面に向かった。この頃、アメリカ軍はガダルカナル島のマタニカウ川およびエスペランス岬への攻撃を行っていた。プランジャーは同海域の偵察および「東京急行」に対する攻撃を行った。10月29日、空母隼鷹の搭載機による爆撃を受けた。11月2日、プランジャーはマリンジ環礁近海を航行中、海図にない暗礁で座礁して聴音機器と艦底部分を損傷した。翌11月3日、プランジャーは南緯07度05分 東経159度52分 / 南緯7.083度 東経159.867度 / -7.083; 159.867のラモス島近海で名取型軽巡洋艦を発見し、魚雷を4本発射。爆雷攻撃を受けたが、大した損傷は受けなかった。11月8日、プランジャーは27日間の行動を終えてブリスベンに帰投。損傷部分の修理を行った。この哨戒では、後にダーター (USS Darter, SS-227) 艦長となるデヴィッド・H・マクリントック大尉(アナポリス1935年組)の、11月3日の戦闘における統率力が評価された。 11月22日、プランジャーは4回目の哨戒でソロモン諸島方面に向かった。ガダルカナル島海域およびニュージョージア島ムンダ沖で哨戒を行った。この頃、ムンダには日本軍の艀船が夜間に訪れ兵員と物資を陸揚げし、夜が明けると島を離れるという行動を繰り返していた。12月16日から17日にかけての夜、プランジャーは4隻の駆逐艦と遭遇、その近くで陸揚げ中の2隻の船に対して攻撃を行い、発射した魚雷の爆発を確認すると、反撃をかわして戦線を離脱した。17日夜にも駆逐艦に対して魚雷を4本を発射し2つの命中音を聴取したものの、はっきりとした戦果は確認できなかった。1943年1月8日、マキンとナウル島間の海域を航行中のプランジャーは九七式飛行艇の爆撃を受けたが、被害はなかった。1月12日、プランジャーは53日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がレイモンド・H・バス少佐(アナポリス1931年組)に代わった。
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