第3、第4の哨戒 1942年10月 - 1943年1月とは? わかりやすく解説

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第3、第4の哨戒 1942年10月 - 1943年1月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:09 UTC 版)

プランジャー (SS-179)」の記事における「第3、第4の哨戒 1942年10月 - 1943年1月」の解説

10月12日プランジャー3回目の哨戒ソロモン諸島方面向かったこの頃アメリカ軍ガダルカナル島マタニカウ川およびエスペランス岬への攻撃行っていた。プランジャーは同海域偵察および「東京急行」に対す攻撃行った10月29日空母隼鷹搭載機による爆撃受けた11月2日プランジャーはマリンジ環礁近海航行中海図にない暗礁座礁して聴音機器と艦底部分損傷した。翌11月3日プランジャー南緯0705東経15952分 / 南緯7.083度 東経159.867度 / -7.083; 159.867のラモス近海名取軽巡洋艦発見し魚雷を4本発射爆雷攻撃受けたが、大した損傷は受けなかった。11月8日プランジャー27日間の行動終えてブリスベン帰投損傷部分修理行った。この哨戒では、後にダーター (USS Darter, SS-227) 艦長となるデヴィッド・H・マクリントック大尉アナポリス1935年組)の、11月3日戦闘における統率力評価された。 11月22日プランジャー4回目の哨戒ソロモン諸島方面向かったガダルカナル島海域およびニュージョージア島ムンダ沖で哨戒行ったこの頃ムンダには日本軍艀船夜間訪れ兵員物資陸揚げし、夜が明けると島を離れるという行動繰り返していた。12月16日から17日にかけての夜、プランジャーは4隻の駆逐艦遭遇、その近く陸揚げ中の2隻の船に対して攻撃行い発射した魚雷爆発確認すると、反撃かわして戦線離脱した17日夜に駆逐艦に対して魚雷を4本を発射し2つ命中音を聴取したものの、はっきりとした戦果確認できなかった。1943年1月8日マキンナウル島間の海域航行中プランジャー九七式飛行艇爆撃受けたが、被害はなかった。1月12日プランジャー53日間行動終えて真珠湾帰投艦長レイモンド・H・バス少佐アナポリス1931年組)に代わった。

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