第3、第4の哨戒 1942年2月 - 6月とは? わかりやすく解説

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第3、第4の哨戒 1942年2月 - 6月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/26 16:25 UTC 版)

ピカーレル (SS-177)」の記事における「第3、第4の哨戒 1942年2月 - 6月」の解説

2月7日ピカーレル3回目の哨戒ジャワ海およびマレー半島近海向かった侵攻してくる日本輸送船団求め2月19日には神通軽巡洋艦ともう1隻の軽巡洋艦および駆逐艦発見し追跡の上2月20日になってから複数回にわたって攻撃。これに対し駆逐艦反撃が行われ、ピカーレル爆雷攻撃によりパイプ継手外れたりパイロメーター破壊されるなどの被害受けたピカーレル64メートルまで深度下がったが、駆逐艦去っていき危機脱した2月24日ピカーレルティモール島近海軽巡洋艦と5隻の駆逐艦発見。しかし、相手推定20ノット高速去っていき攻撃出来なかった。2月28日には、日本潜水艦から1本の魚雷発射されたが、回避した結局、この哨戒では戦果挙げることもなかった。哨戒間中3月9日ジャワ島陥落しピカーレル健在の他の味方潜水艦とともにオーストラリア脱出3月19日ピカーレル41日間行動終えてフリーマントル帰投した。 4月15日ピカーレル4回目の哨戒フィリピン方面向かった。しかし、この哨戒では戦果挙げるどころか失態犯した4月25日未明ピカーレル商船の煙を発見して戦闘配置令した4月26日入ってすぐ、ピカーレル艦首発射管から4本、艦尾発射管から1本の魚雷発射し、1本が命中したピカーレル浮上して目標追跡し、さらに魚雷を2本発射したものの命中しなかった。そのうち金剛丸客船思しき艦船高速ピカーレル方に向かってくる気配があったので、ピカーレルスコールまぎれて戦場離脱した南緯0319東経12727分 / 南緯3.317度 東経127.450度 / -3.317; 127.450の地点攻撃した目標は、実は病院船高砂丸大阪商船、9,315トンであった高砂丸魚雷命中により舵や船体損傷した4月末から5月にはミンダナオ島方面哨戒5月中旬高雄マニラ間の航路哨戒転じ5月下旬に入るとルソン島西部至りルソン島一周する形での哨戒となった4月30日ダバオ湾(英語版)で6,000トン貨物船対し5月7日にはスルアン島英語版近海小型船対し5月17日にはミンドロ島近海で6,000トン貨物船に対してそれぞれ魚雷発射したが、いずれも命中しなかった。また5月29日には、マカッサル海峡妙高型重巡洋艦発見したが、追跡中に見失ってしまった。6月6日ピカーレル52日間行動終えてフリーマントル帰投した。

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