第3、第4の哨戒 1942年2月 - 6月
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「ピカーレル (SS-177)」の記事における「第3、第4の哨戒 1942年2月 - 6月」の解説
2月7日、ピカーレルは3回目の哨戒でジャワ海およびマレー半島近海に向かった。侵攻してくる日本の輸送船団を求め、2月19日には神通型軽巡洋艦ともう1隻の軽巡洋艦および駆逐艦を発見し、追跡の上翌2月20日になってから複数回にわたって攻撃。これに対し駆逐艦の反撃が行われ、ピカーレルは爆雷攻撃によりパイプの継手が外れたりパイロメーターが破壊されるなどの被害を受けた。ピカーレルは64メートルまで深度が下がったが、駆逐艦は去っていき危機を脱した。2月24日、ピカーレルはティモール島近海で軽巡洋艦と5隻の駆逐艦を発見。しかし、相手は推定20ノットの高速で去っていき攻撃は出来なかった。2月28日には、日本の潜水艦から1本の魚雷を発射されたが、回避した。結局、この哨戒では戦果を挙げることもなかった。哨戒期間中の3月9日にジャワ島は陥落し、ピカーレルは健在の他の味方潜水艦とともにオーストラリアに脱出。3月19日、ピカーレルは41日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 4月15日、ピカーレルは4回目の哨戒でフィリピン方面に向かった。しかし、この哨戒では戦果を挙げるどころか失態を犯した。4月25日未明、ピカーレルは商船の煙を発見して戦闘配置を令した。4月26日に入ってすぐ、ピカーレルは艦首発射管から4本、艦尾発射管から1本の魚雷を発射し、1本が命中した。ピカーレルは浮上して目標を追跡し、さらに魚雷を2本発射したものの命中しなかった。そのうち、金剛丸級客船と思しき艦船が高速でピカーレルの方に向かってくる気配があったので、ピカーレルはスコールにまぎれて戦場を離脱した。南緯03度19分 東経127度27分 / 南緯3.317度 東経127.450度 / -3.317; 127.450の地点で攻撃した目標は、実は病院船高砂丸(大阪商船、9,315トン)であった。高砂丸は魚雷命中により舵や船体が損傷した。4月末から5月にはミンダナオ島方面で哨戒。5月中旬は高雄とマニラ間の航路の哨戒に転じ、5月下旬に入るとルソン島西部に至り、ルソン島を一周する形での哨戒となった。4月30日にダバオ湾(英語版)で6,000トン級貨物船に対し、5月7日にはスルアン島(英語版)近海で小型船に対し、5月17日にはミンドロ島近海で6,000トン級貨物船に対してそれぞれ魚雷を発射したが、いずれも命中しなかった。また5月29日には、マカッサル海峡で妙高型重巡洋艦を発見したが、追跡中に見失ってしまった。6月6日、ピカーレルは52日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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