第3、第4の哨戒 1942年3月 - 7月
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「スカルピン (SS-191)」の記事における「第3、第4の哨戒 1942年3月 - 7月」の解説
3月13日、スカルピンは3回目の哨戒でバンダ海方面に向かった。3月24日から2日間、スカルピンはケンダリ沖での哨戒したあと別の海域に移動。3月27日から28日にかけて、スカルピンは大型貨物船に対して魚雷3本を発射する。しかし、魚雷は目標に対して直進したものの深く沈み、貨物船の下を通過した。同様の出来事は4月1日夜の雷撃でも生じた。スカルピンは多くの姉妹艦同様、戦争の初期において魚雷誘導装置の不調に悩まされた。4月27日、スカルピンは45日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 5月29日、スカルピンは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。6月8日、スカルピンはモルッカ海で貨物船への攻撃を行ったが、魚雷の故障により再び失敗した。護衛艦からの爆雷攻撃によりスカルピンは潜航し、貨物船は脱出に成功した。6月13日にはバラバク海峡の近くで貨物船に魚雷攻撃を行い、速度を低下させたものの搭載砲によって反撃された。貨物船に続く2隻のタンカーに対して攻撃を行ったが、そのうちの1隻のタンカーの体当たりを防ぐため潜航を余儀なくされた。スカルピンは夕暮れに浮上して貨物船を追跡したものの、敵の正確な砲撃によって追い払われた。スカルピンは目標をタンカーに変更し、攻撃によりタンカーは激しく煙を生じたと見えたが、沈没は確認できなかった。6月19日の早朝、スカルピンはインドシナ半島バレラ岬沖で貨物船に対して雷撃を行い、煙突の前方に命中弾を与えたように見えた。2度目の大きな爆発音が聞こえ、貨物船は前方ハッチから煙を上げて海岸に進んでいったと思われた。7月7日にはシブツ海峡でタンカーに対して魚雷を発射し、1本が命中したと判定された。7月17日、スカルピンは48日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。7月20日から23日までアルバニー近海でオランダ軽巡洋艦トロンプ (HNLMS Tromp) と対潜訓練を行った後、ブリスベンを基地とするアーサー・S・カーペンダー(英語版)少将率いる南西太平洋海軍部隊指揮下の第2潜水部隊(ラルフ・クリスティ(英語版)大佐)に編入されることとなり、8月13日にフリーマントルを出港して8月26日にブリスベンに到着した。
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