第3、第4の哨戒 1943年12月 - 1944年4月
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「ヘイク (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1943年12月 - 1944年4月」の解説
12月27日、ヘイクは3回目の哨戒でルソン島、ミンダナオ島、ハルマヘラ島方面に向かった。1944年1月7日、東側から南鳥島に接近したヘイクは写真偵察を実施する。1月12日午前、ヘイクは沖大東島近海でパラオから日本に向かう、「うすりい丸(大阪商船、6,385トン)級」貨客船に仮定された陸軍特殊船にぎつ丸(日本海運、9,547トン)と駆逐艦天霧からなるフ901船団を発見。追跡ののち、北緯23度15分 東経132度51分 / 北緯23.250度 東経132.850度 / 23.250; 132.850の地点にいたったところで、にぎつ丸に対して魚雷を4本発射し、2本を命中させて撃沈。攻撃直後からの天霧の反撃をかわし、逆に魚雷を2本発射したが命中しなかった。その後、ヘイクはルソン島東岸部を南下してミンダナオ島南方、ダバオ近海に移動した。1月24日には、北緯07度10分 東経126度57分 / 北緯7.167度 東経126.950度 / 7.167; 126.950のダバオ湾(英語版)口でタンカーと中型輸送船、2隻の護衛艦を発見し、魚雷を3本発射してタンカーに1本が命中したと判断された。しかし、攻撃直後に爆雷攻撃を受けて損傷した。1月26日の夜、ヘイクは北緯05度50分 東経126度00分 / 北緯5.833度 東経126.000度 / 5.833; 126.000のミンダナオ島サンアウグスティン岬沖で、船首にご丁寧にも日の丸を描いた250トン級サンパンを発見し、浮上砲戦により破壊された。2月1日未明、ヘイクは北緯01度32分 東経128度50分 / 北緯1.533度 東経128.833度 / 1.533; 128.833のハルマヘラ島ガムチャカ岬沖で、第10号掃海特務艇と敷設艦蒼鷹が護衛するA船団を発見。ヘイクは3隻の輸送船に対し魚雷を6本発射し、2時25分ごろに輸送船たこま丸(大阪商船、5,772トン)の右舷船倉に2本が命中し3時15分に沈没、残るの魚雷は輸送船南華丸(東海汽船、4,065トン)に向かい、南華丸は向かってきた3本の魚雷のうち2本は回避したが、1本が右舷中央部に命中して3時49分に沈没していった。護衛艦による反撃は行われなかった。2月10日にも北緯01度58分 東経129度14分 / 北緯1.967度 東経129.233度 / 1.967; 129.233のハルマヘラ島近海で4隻の輸送船団を発見し、魚雷を4本発射して1本が4,000トン級輸送船に命中したと判断された。2月13日には南緯04度37分 東経125度26分 / 南緯4.617度 東経125.433度 / -4.617; 125.433の地点で40フィートの15トン級小型船を撃沈。2月20日、ヘイクは55日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 3月18日、ヘイクは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。3月27日午後、ヘイクは南緯03度53分 東経109度42分 / 南緯3.883度 東経109.700度 / -3.883; 109.700のボルネオ南西部で護衛なしで航行中のタンカー山水丸(山下汽船、5,155トン)を発見し、魚雷を5本発射して2本を命中させ、さらに浮上して砲撃し撃沈した。4月2日未明には、北緯01度58分 東経106度15分 / 北緯1.967度 東経106.250度 / 1.967; 106.250のアナンバス諸島南方海域で、5隻の輸送船と2隻の護衛艦からなるヒ55船団を発見。二度にわたって魚雷を計10本発射し、タンカーたらかん丸(三菱汽船、5,135トン)に3本が命中。たらかん丸は魚雷命中により船体前半部が切断したが沈没せず、そのままシンガポールに入港した。4月3日には北緯03度20分 東経108度34分 / 北緯3.333度 東経108.567度 / 3.333; 108.567の地点で2隻の「利根型重巡洋艦」と2隻の駆逐艦を発見し、先頭の「重巡洋艦」に対して魚雷を4本発射し、1本が命中したと判定された。爆雷攻撃が収まるのを待って浮上すると、約2時間後には「翔鶴型航空母艦」と2隻の駆逐艦を発見。こちらは攻撃させる隙を与えなかった。4月8日夜、ヘイクは北緯03度16分 東経108度49分 / 北緯3.267度 東経108.817度 / 3.267; 108.817の地点で4隻の巡洋艦と5隻の駆逐艦からなる艦隊を発見し戦闘配置を令して追跡したが、相手は高速で航行していたため振り切られた。4月30日、ヘイクは42日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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