第3、第4の哨戒 1942年9月 - 1943年1月
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「ドラム (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1942年9月 - 1943年1月」の解説
9月23日、ドラムは3回目での哨戒では日本近海に向かった。10月7日、ドラムは横浜港へ向かう日英交換船鎌倉丸(日本郵船、17,498トン)を確認した。翌10月8日10時15分には、北緯34度06分 東経136度22分 / 北緯34.100度 東経136.367度 / 34.100; 136.367の尾鷲沖で5隻の貨物船からなる門司行きの船団を発見。ドラムは船団の左側から攻撃し、輸送船へいぐ丸(大阪商船、5,641トン)に魚雷3本を命中させて撃沈した。翌10月9日には北緯33度27分 東経136度01分 / 北緯33.450度 東経136.017度 / 33.450; 136.017の勝浦沖で輸送船八幡山丸(鶴丸汽船、2,461トン)を撃沈。10月13日にも北緯35度06分 東経140度23分 / 北緯35.100度 東経140.383度 / 35.100; 140.383の地点で5,000トン級輸送船に対して魚雷を3本発射するが、直後に爆雷攻撃を受ける。10月20日には北緯34度09分 東経136度46分 / 北緯34.150度 東経136.767度 / 34.150; 136.767の大王崎沖で輸送船隆南丸(松本正一、5,106トン)を撃沈した。10月25日も北緯34度16分 東経136度58分 / 北緯34.267度 東経136.967度 / 34.267; 136.967の地点で中型輸送船に対して魚雷を2本発射したが命中せず、2日後の10月27日にも北緯35度05分 東経140度11分 / 北緯35.083度 東経140.183度 / 35.083; 140.183の地点で6,700トン級大型輸送船に対して魚雷を二度ずつ計4本発射。11月8日、ドラムは46日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がバーナード・F・マクマホン少佐(アナポリス1931年組)に代わり、次の哨戒までに SJレーダーが装備された。 11月29日、ドラムは4回目の哨戒で日本近海に向かった。この哨戒では、豊後水道に機雷を敷設する任務を命じられた。その途中の12月12日、ドラムは北緯32度04分 東経142度30分 / 北緯32.067度 東経142.500度 / 32.067; 142.500の八丈島の東海上で、約2週間前に竣工したばかりで駆逐艦時津風の護衛を受けトラック諸島に九九式双発軽爆撃機を輸送する途中の軽空母龍鳳を発見する。龍鳳は、前日に横須賀を出撃したものであった。ドラムは前部発射管のうち4つを開き、龍鳳に向けて発射した。うち1本が龍鳳の右舷艦橋下に命中したが、龍鳳は辛うじて横須賀に引き返すことが出来た。その後、12月16日夜には沖の島沖で水雷艇鳩の攻撃を受ける。翌12月17日に推定位置北緯32度49分 東経132度13分 / 北緯32.817度 東経132.217度 / 32.817; 132.217の豊後水道に予定通り機雷を敷設したが、12月20日深夜には都井岬沖で敷設艇怒和島に発見され、攻撃された。1943年1月5日夜には再び沖の島沖で敷設艇夏島に護衛された特設運送船千山丸(大連汽船、2,775トン)をタンカーと思って攻撃したものの、取り逃がした。1月13日にもドラムは北緯31度26分 東経142度39分 / 北緯31.433度 東経142.650度 / 31.433; 142.650の地点で4,000トン級輸送船に対して魚雷を3本発射したが、鋭いスクリュー音を探知したため確認を行わず、その約20分後には全ての音源が消え去っていた。1月24日、ドラムは56日間の行動を終えて真珠湾に帰投。その後、3月11日まで真珠湾でオーバーホールに入った。
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