第3、第4の哨戒 1943年11月 - 1944年4月とは? わかりやすく解説

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第3、第4の哨戒 1943年11月 - 1944年4月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:12 UTC 版)

ポンポン (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1943年11月 - 1944年4月」の解説

11月29日ポンポン3回目の哨戒南シナ海インドシナ半島および中国大陸沿岸部に向かった12月11日ポンポン北緯0713東経11501分 / 北緯7.217度 東経115.017度 / 7.217; 115.017のバラバク海峡で2隻のサンパン別々に発見し、3インチ砲と20ミリ機銃撃沈12月13日には北緯0845分 東経10605分 / 北緯8.750度 東経106.083度 / 8.750; 106.083から北緯0848東経10603分 / 北緯8.800度 東経106.050度 / 8.800; 106.050にいたるプロコンドル島近海機雷11敷設その後セレベス海5日哨戒し、ダーウィン補給行った1944年1月28日ポンポン60日間行動終えてフリーマントル帰投艦長ステファン・H・ギンベル少佐アナポリス1935年組)に代わった。 2月22日ポンポン4回目の哨戒ハルマヘラ島方面向かった3月8日には病院船氷川丸日本郵船11,622トン)を発見し見送った。翌3月9日夜、ポンポン北緯0401東経12807分 / 北緯4.017度 東経128.117度 / 4.017; 128.117の地点で3隻の小型護衛艦発見し魚雷を4本発射したが、護衛艦吃水浅かったためか命中しなかった。ポンポンパラオ方面サイパン島方面偵察行い3月25日ミッドウェー島寄港命じられた。4月10日ポンポン50日間行動終えて真珠湾帰投4日修理従事した

※この「第3、第4の哨戒 1943年11月 - 1944年4月」の解説は、「ポンポン (潜水艦)」の解説の一部です。
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