第3、第4の哨戒 1943年11月 - 1944年4月
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「ポンポン (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1943年11月 - 1944年4月」の解説
11月29日、ポンポンは3回目の哨戒で南シナ海、インドシナ半島および中国大陸沿岸部に向かった。12月11日、ポンポンは北緯07度13分 東経115度01分 / 北緯7.217度 東経115.017度 / 7.217; 115.017のバラバク海峡で2隻のサンパンを別々に発見し、3インチ砲と20ミリ機銃で撃沈。12月13日には北緯08度45分 東経106度05分 / 北緯8.750度 東経106.083度 / 8.750; 106.083から北緯08度48分 東経106度03分 / 北緯8.800度 東経106.050度 / 8.800; 106.050にいたるプロコンドル島近海に機雷を11個敷設。その後、セレベス海で5日間哨戒し、ダーウィンで補給を行った。1944年1月28日、ポンポンは60日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がステファン・H・ギンベル少佐(アナポリス1935年組)に代わった。 2月22日、ポンポンは4回目の哨戒でハルマヘラ島方面に向かった。3月8日には病院船氷川丸(日本郵船、11,622トン)を発見し、見送った。翌3月9日夜、ポンポンは北緯04度01分 東経128度07分 / 北緯4.017度 東経128.117度 / 4.017; 128.117の地点で3隻の小型護衛艦を発見し、魚雷を4本発射したが、護衛艦の吃水が浅かったためか命中しなかった。ポンポンはパラオ方面、サイパン島方面で偵察を行い、3月25日にミッドウェー島寄港を命じられた。4月10日、ポンポンは50日間の行動を終えて真珠湾に帰投。4日間修理に従事した。
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