第7の哨戒 1943年5月 - 6月
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「タンバー (潜水艦)」の記事における「第7の哨戒 1943年5月 - 6月」の解説
5月7日、タンバーは7回目の哨戒でインドシナ半島、マレー半島方面に向かった。5月26日、タンバーは北緯17度19分 東経116度20分 / 北緯17.317度 東経116.333度 / 17.317; 116.333の地点でタンカーを発見し、魚雷を3本発射したが命中しなかった。3日後の5月29日、タンバーは北緯17度30分 東経110度55分 / 北緯17.500度 東経110.917度 / 17.500; 110.917の地点で輸送船永昌丸(拿捕船、元ギリシャ船フォロズ/山下汽船委託、2,486トン)を発見して魚雷を3本発射。しかし命中しなかったので、数時間後に再度魚雷を3本発射。今度は2本が命中し、3回の爆発を確認。タンバーは別の目標に対しても魚雷を3本発射したが命中しなかった。沈みゆく永昌丸からは2隻の救命ボートが降ろされて、乗組員は逃げていった。6月2日には北緯20度29分 東経107度57分 / 北緯20.483度 東経107.950度 / 20.483; 107.950地点で貨物船を、6月7日には北緯20度23分 東経107度47分 / 北緯20.383度 東経107.783度 / 20.383; 107.783の地点で海軍徴傭船第二伏見丸(東洋海運、779トン)を発見し、魚雷をそれぞれ3本ずつ発射。最初の目標は撃破し、次の目標、すなわち第二伏見丸は沈んだと考えられたが、日本の公認記録では第二伏見丸は雷撃を回避し、6月2日のものは沈没と記録されている。6月16日にもカムラン湾沖で第398船団に加入中の特設給油船第二小倉丸(日本石油、7,311トン)、あるいはタンカー力行丸(日本石油、9,181トン)に対して最後に残った魚雷3本を発射したが、命中しなかった。この哨戒で公認された撃沈スコアは永昌丸だけだった。6月27日、タンバーは50日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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