第7の哨戒 1943年5月 - 6月とは? わかりやすく解説

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第7の哨戒 1943年5月 - 6月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 20:34 UTC 版)

タンバー (潜水艦)」の記事における「第7の哨戒 1943年5月 - 6月」の解説

5月7日タンバー7回目哨戒インドシナ半島マレー半島方面向かった5月26日タンバー北緯1719東経11620分 / 北緯17.317度 東経116.333度 / 17.317; 116.333の地点タンカー発見し魚雷3本発射した命中しなかった。3日後の5月29日タンバー北緯1730東経110度55分 / 北緯17.500度 東経110.917度 / 17.500; 110.917の地点輸送船永昌丸(拿捕船、元ギリシャ船フォロズ/山下汽船委託、2,486トン)を発見して魚雷3本発射。しかし命中しなかったので、数時間後に再度魚雷3本発射今度は2本が命中し3回爆発確認タンバー別の目標に対して魚雷3本発射した命中しなかった。沈みゆく永昌丸からは2隻の救命ボート降ろされて、乗組員逃げていった。6月2日には北緯2029東経10757分 / 北緯20.483度 東経107.950度 / 20.483; 107.950地点貨物船を、6月7日には北緯2023東経10747分 / 北緯20.383度 東経107.783度 / 20.383; 107.783の地点海軍徴傭第二伏見丸(東洋海運、779トン)を発見し魚雷それぞれ3本ずつ発射最初目標撃破し次の目標、すなわち第二伏見丸は沈んだ考えられたが、日本公認記録では第二伏見丸は雷撃回避し6月2日のものは沈没記録されている。6月16日にもカムラン湾沖で第398船団加入中の特設給油船第二小倉丸日本石油、7,311トン)、あるいはタンカー力行丸(日本石油、9,181トンに対して最後に残った魚雷3本発射したが、命中しなかった。この哨戒公認され撃沈スコア永昌丸だけだった6月27日タンバー50日間行動終えてフリーマントル帰投した。

※この「第7の哨戒 1943年5月 - 6月」の解説は、「タンバー (潜水艦)」の解説の一部です。
「第7の哨戒 1943年5月 - 6月」を含む「タンバー (潜水艦)」の記事については、「タンバー (潜水艦)」の概要を参照ください。

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