第7の哨戒 1943年5月 - 7月
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「トートグ (潜水艦)」の記事における「第7の哨戒 1943年5月 - 7月」の解説
5月11日、トートグは7回目の哨戒でフローレス海、ボニ湾、モルッカ海およびセレベス海方面に向かった。この哨戒では、セレベス方面の適当な島に2名の監視員を上陸させる任務が与えられていた。この2名の監視員は敬虔なムスリムであり、トートグの乗組員はイスラム教およびイスラム教の食のタブーに最大限配慮したもてなしを行った。乗組員が食べていたものは供することができず、ツナと鮭が供することが可能なタブー外の食品だった。また、航海士には監視員を上陸させるまで、1日5回の礼拝のためにメッカの方角を監視員に教える任務が与えられた。5月20日、トートグは浮上砲戦でモーターサンパンを撃沈。5月25日、トートグは計画通り、カバエナ島にムスリムの監視員を上陸させた。6月6日、トートグは北緯07度13分 東経123度30分 / 北緯7.217度 東経123.500度 / 7.217; 123.500のバサリン海峡入口で陸軍船神栄丸(鍵富正作、973トン)に対して魚雷を3本発射。魚雷は20秒後に命中し、神栄丸は黄緑色の閃光を発しながら沈没した。6月20日には、北緯15度57分 東経140度57分 / 北緯15.950度 東経140.950度 / 15.950; 140.950のサイパン島西方で特設運送船明天丸(明治海運、4,474トン)を撃沈した。この哨戒は6回の雷撃と3回の浮上砲戦の機会があったが、撃沈は2隻14,300トン(戦後に5,300トン)と上出来な成果とは言えなかった。7月4日、トートグは53日間の行動を終えて真珠湾に帰投。オーバーホールのためハンターズ・ポイント海軍造船所に回航された。
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