第7の哨戒 1943年5月 - 7月とは? わかりやすく解説

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第7の哨戒 1943年5月 - 7月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/01 14:57 UTC 版)

トートグ (潜水艦)」の記事における「第7の哨戒 1943年5月 - 7月」の解説

5月11日トートグ7回目哨戒フローレス海ボニ湾モルッカ海およびセレベス海方面向かった。この哨戒では、セレベス方面適当な島に2名の監視員上陸させる任務与えられていた。この2名の監視員敬虔なムスリムであり、トートグ乗組員イスラム教およびイスラム教食のタブー最大限配慮したもてなし行った乗組員食べていたもの供することができず、ツナ供することが可能なタブー外の食品だった。また、航海士には監視員上陸させるまで、1日5回の礼拝のためにメッカ方角監視員教え任務与えられた。5月20日トートグ浮上砲戦でモーターサンパンを撃沈5月25日トートグ計画通り、カバエナ島にムスリム監視員上陸させた。6月6日トートグ北緯0713東経12330分 / 北緯7.217度 東経123.500度 / 7.217; 123.500のバサリン海峡入口陸軍神栄丸(鍵富正作、973トンに対して魚雷3本発射魚雷20秒後に命中し神栄丸は黄緑色閃光発しながら沈没した6月20日には、北緯15度57東経140度57分 / 北緯15.950度 東経140.950度 / 15.950; 140.950のサイパン島西方特設運送船明天丸(明治海運、4,474トン)を撃沈した。この哨戒は6回の雷撃3回浮上砲戦機会があったが、撃沈は2隻14,300トン戦後に5,300トン)と上出来成果とは言えなかった。7月4日トートグ53日間行動終えて真珠湾帰投オーバーホールのためハンターズ・ポイント海軍造船所回航された。

※この「第7の哨戒 1943年5月 - 7月」の解説は、「トートグ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第7の哨戒 1943年5月 - 7月」を含む「トートグ (潜水艦)」の記事については、「トートグ (潜水艦)」の概要を参照ください。

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