第7の哨戒 1943年3月 - 4月・喪失とは? わかりやすく解説

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第7の哨戒 1943年3月 - 4月・喪失

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/26 16:25 UTC 版)

ピカーレル (SS-177)」の記事における「第7の哨戒 1943年3月 - 4月・喪失」の解説

3月18日ピカーレル7回目哨戒日本近海向かった3月22日ミッドウェー島燃料補給し哨戒海域である本州北東部向かったもののその後消息不明となり、5月上旬まで帰投待ったがついに帰ってこず、5月12日喪失宣告された。ピカーレル中部太平洋失われた最初潜水艦となったピカーレル1943年8月19日除籍された。 4月3日0時過ぎ、北緯4003東経14158分 / 北緯40.050度 東経141.967度 / 40.050; 141.967の野田湾沖で船団護衛中の第13号駆潜艇撃沈された。アメリカ側ではこれをピカーレル戦果としている。同日夕刻17時過ぎのこと、大湊航空隊水上偵察機白糠灯台沖で潜水艦のものと思われる油泡を発見し17時12分に対潜爆弾2発を投下した偵察機によって付近航行中の第2403船団護衛中敷設艇白神誘導され白神爆雷18発を2度わたって投下。幅30メートル長さ2キロわたって重油噴出してきた。さらに特設駆潜艇文山丸(日本海洋漁業97トン)が加わって3発の爆雷投下し白神再度5発の爆雷投下した攻撃後、探知してみたが海中からの反響はなかった。少なくとも、日本側からしてみれば目標撃沈された信じるに十分の状況であり、翌4月4日8時に対潜警報解除された。 この期間中、同海域はいくつかの対潜艦戦が行われ、また同期間に三陸方面作戦活動にあった潜水艦ピカーレルのみであった水上偵察機および白神文山丸による対潜攻撃ピカーレル最期に関する有力な情報一つであるが、確定情報とは断言できないアメリカ側記録では4月7日三陸沖雷撃により沈没した福栄丸(栗林商船、1,113トン)をピカーレル戦果にしているからであり、4月3日ピカーレル撃沈されたとなると4月7日福栄丸を撃沈した潜水艦ピカーレルではない別の艦の戦果ということになり、矛盾生じることとなる。いずれにせよこの期間およびそれ以降いずれか戦闘ピカーレル撃沈されたものと考えられる。なお、福栄丸の沈没地点三陸沖となっているが、4月3日ピカーレルをめぐる戦闘から4月12日フライングフィッシュ (USS Flying Fish, SS-229) による輸送船第十札幌丸(商店、2,862トン撃沈まで、三陸方面戦闘において大きな出来事記録されていないピカーレル第二次世界大戦中戦功で3個の従軍星章受章した

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