第7の哨戒 1942年12月 - 1943年2月とは? わかりやすく解説

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第7の哨戒 1942年12月 - 1943年2月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 16:48 UTC 版)

トラウト (SS-202)」の記事における「第7の哨戒 1942年12月 - 1943年2月」の解説

12月29日トラウト7回目哨戒南シナ海向かった1943年1月11日トラウトミリ燃料搭載中の海軍徴傭タンカー極洋丸極洋捕鯨17,549トン)に対し魚雷3本発射。2本は中央部命中したが、残り1本は途中で爆発した。4分後に重い爆発がするのを感じたが、極洋丸沈没しておらず中破しただけだった1月19日には浮上航行中敷設特務艇江之島砲撃を受ける。1月21日トラウト北緯11度49東経10921分 / 北緯11.817度 東経109.350度 / 11.817; 109.350のインドシナ半島カムラン湾口で距離640メートルから魚雷を2本発射し特設砲艦敷設艦永福丸(日本郵船、3,520トン)に1本命中させて撃破した1月29日には、北緯12度15分 東経10926分 / 北緯12.250度 東経109.433度 / 12.250; 109.433の地点鴻型水雷艇あるいはタイ海軍駆逐艦プラ・ルアンと思われる艦艇実際に基隆に向かう特設運送船東洋丸(沢山汽船、4,163トン)を護衛中海防艦占守発見し東洋丸に対して魚雷3本発射したが、命中しなかった。2月2日には浮上航行中海軍徴傭タンカー御室山丸(三井船舶、9,204トン)とすれ違い攻撃しようとしたが機会逸した2月7日トラウトは再びミリ沖に出現し前年撃破した日新丸発見魚雷を2本発射し、うち1本が日新丸後部命中して煙が上がっているのを確認した。しかし、日新丸極洋丸同様に中破とどまった一週間後の2月14日トラウト南緯0359東経11730分 / 南緯3.983度 東経117.500度 / -3.983; 117.500の地点スコールの中から出現した特設運送船弘玉丸(玉井商船、1,911トン)に対し2本の魚雷発射。1本は船首命中し、もう1本は命中しなかった。弘玉丸が8ノット動いているのを見てトラウト浮上砲戦持ち込むべく浮上した。その直後、弘玉丸からの機銃掃射トラウト乗組員7名が負傷しトラウト砲戦止めて魚雷1本を発射して弘玉丸に止め刺した2月23日トラウト58日間行動終えてフリーマントル帰投した。

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