第7の哨戒 1942年12月 - 1943年2月
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「トラウト (SS-202)」の記事における「第7の哨戒 1942年12月 - 1943年2月」の解説
12月29日、トラウトは7回目の哨戒で南シナ海に向かった。1943年1月11日、トラウトはミリで燃料を搭載中の海軍徴傭タンカー極洋丸(極洋捕鯨、17,549トン)に対し魚雷を3本発射。2本は中央部に命中したが、残り1本は途中で爆発した。4分後に重い爆発がするのを感じたが、極洋丸は沈没しておらず中破しただけだった。1月19日には浮上航行中に敷設特務艇江之島の砲撃を受ける。1月21日、トラウトは北緯11度49分 東経109度21分 / 北緯11.817度 東経109.350度 / 11.817; 109.350のインドシナ半島カムラン湾口で距離640メートルから魚雷を2本発射し、特設砲艦兼敷設艦永福丸(日本郵船、3,520トン)に1本命中させて撃破した。1月29日には、北緯12度15分 東経109度26分 / 北緯12.250度 東経109.433度 / 12.250; 109.433の地点で鴻型水雷艇あるいはタイ海軍の駆逐艦プラ・ルアンと思われる艦艇、実際には基隆に向かう特設運送船東洋丸(沢山汽船、4,163トン)を護衛中の海防艦占守を発見し、東洋丸に対して魚雷を3本発射したが、命中しなかった。2月2日には浮上航行中に海軍徴傭タンカー御室山丸(三井船舶、9,204トン)とすれ違い、攻撃しようとしたが機会を逸した。2月7日、トラウトは再びミリ沖に出現し、前年に撃破した日新丸を発見。魚雷を2本発射し、うち1本が日新丸の後部に命中して煙が上がっているのを確認した。しかし、日新丸は極洋丸と同様に中破にとどまった。一週間後の2月14日、トラウトは南緯03度59分 東経117度30分 / 南緯3.983度 東経117.500度 / -3.983; 117.500の地点でスコールの中から出現した特設運送船弘玉丸(玉井商船、1,911トン)に対し2本の魚雷を発射。1本は船首に命中し、もう1本は命中しなかった。弘玉丸が8ノットで動いているのを見て、トラウトは浮上砲戦に持ち込むべく浮上した。その直後、弘玉丸からの機銃掃射でトラウトの乗組員7名が負傷し、トラウトは砲戦を止めて魚雷1本を発射して弘玉丸に止めを刺した。2月23日、トラウトは58日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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