第7の哨戒 1943年10月 - 11月
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「ハリバット (潜水艦)」の記事における「第7の哨戒 1943年10月 - 11月」の解説
10月10日、ハリバットは7回目の哨戒で日本近海に向かった。10月14日にミッドウェー島に立ち寄った際、SJレーダー(英語版)に故障があったので修理し、その後出撃。10月25日に沖の島沖の豊後水道に到着後、10月29日朝、ハリバットは北緯32度00分 東経132度40分 / 北緯32.000度 東経132.667度 / 32.000; 132.667の地点で輸送船と護衛艦を発見し追跡したが、逆に発見されて潜航して避退し、ハリバットは第34号駆潜艇から15発の爆雷を投下された。しばらくしてから浮上してみると、目標はどこかに去っていた。2日後の10月31日午後、北緯32度10分 東経132度46分 / 北緯32.167度 東経132.767度 / 32.167; 132.767の地点で見張り員が数条の煙を発見した。ハリバットはこの煙を追跡し、11月1日になって潜航し観測を続けると、相手は7隻の輸送船と3隻の鴻型水雷艇と考えられた。この船団佐伯を出港してパラオに向かっていたオ112船団であり、12隻の輸送船で構成されていた。11月1日朝、ハリバットは北緯31度23分 東経134度31分 / 北緯31.383度 東経134.517度 / 31.383; 134.517の地点で7,600トン級輸送船と3,500トン級輸送船に対して魚雷を3本発射し、後者に魚雷が1本命中した事を報告したが、特設運送船千早丸(拿捕船、元オランダ船チサロア、7,087トン)は船尾方向に魚雷を1本回避して、他に自爆らしい振動を2つ観測した。午後には一旦オ112船団との接触が途切れるが、夜に入り再び接触を得る。11月1日夜から11月2日明け方までハリバットが接触を保っていた間に、オ112船団はトリガー (USS Trigger, SS-237) とシーホース (USS Seahorse, SS-304) に攻め立てられて、千早丸を含む4隻が沈没していた。ハリバットはトリガーとシーホースの攻撃が終わった後の11月2日8時41分頃に北緯28度16分 東経134度48分 / 北緯28.267度 東経134.800度 / 28.267; 134.800の地点で陸軍輸送船愛媛丸(山下汽船、4,654トン)と2隻の小型輸送船に向けて魚雷を3本発射し、うち2本を命中させ愛媛丸を轟沈させた。ハリバットはなおもオ112船団に食いつき、愛媛丸他2隻への攻撃から間を置かずに、別の3つの目標に対して魚雷を3本発射したが命中しなかった。夜に入って北緯28度01分 東経133度53分 / 北緯28.017度 東経133.883度 / 28.017; 133.883の地点でオ112船団から脱落したと思しき小型輸送船と護衛艦に対して魚雷を3本発射したが、これも命中しなかった。11月3日朝にも、北緯27度30分 東経133度52分 / 北緯27.500度 東経133.867度 / 27.500; 133.867の地点で2隻の小型輸送船と護衛艦に対して魚雷を3本発射したが、これまた命中しなかった。11月5日早朝、ハリバットは司令部からのウルトラ情報(英語版)に基づき、北緯32度06分 東経133度29分 / 北緯32.100度 東経133.483度 / 32.100; 133.483の豊後水道で艦隊(丁三号輸送部隊)を迎え撃った。ハリバットはレーダーで観測しつつ、北緯32度19分 東経132度58分 / 北緯32.317度 東経132.967度 / 32.317; 132.967の地点で「長門型戦艦」と「翔鶴型航空母艦」に向けて魚雷を艦首から6本、艦尾から2本の計8本発射。魚雷は空母隼鷹の艦尾に一本命中し、隼鷹は操舵不能に陥った。残りの魚雷は後ろを航行していた戦艦山城をかすめ去った。隼鷹は山城や重巡洋艦利根の曳航により、なんとか呉にたどり着くことができた。ハリバットは13発の爆雷を投下されたが逃げ切った。11月17日、ハリバットは37日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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