黒龍丸とは? わかりやすく解説

黒龍丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/21 15:51 UTC 版)

黒龍丸
基本情報
船種 貨客船
クラス 黒龍丸級貨客船
船籍 大日本帝国
所有者 大阪商船
運用者 大阪商船
建造所 三菱重工業長崎造船所
母港 大阪港/大阪府
姉妹船 鴨緑丸
信号符字 JSFL
IMO番号 43451(※船舶番号)
建造期間 315日
就航期間 2,642日
経歴
起工 1936年9月19日
進水 1937年2月14日
竣工 1937年7月31日[1]
就航 1937年8月14日
最後 1944年10月24日 被雷沈没
要目
総トン数 7,369トン
純トン数 4,078トン
載貨重量 4,182トン
排水量 9,620トン
登録長 129.80m
型幅 17.4m
登録深さ 10.15m
高さ 27.43m(水面からマスト最上端まで)
7.01m(水面から船橋最上端まで)
17.98m(水面から煙突最上端まで)
ボイラー 水管式石炭専燃缶 3基
主機関 三菱ツェリー衝動式蒸気タービン機関 2基
推進器 2軸
最大出力 4,694馬力
定格出力 4,000馬力
最大速力 18.3ノット
航海速力 16.0ノット
旅客定員 一等:45名
二等:138名
三等:669名
乗組員 148名
原則として出典は『昭和十八年版 日本汽船名簿』[2]
高さは米海軍識別表[3]より(フィート表記)
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黒龍丸(こくりゅうまる)は、大阪商船が所有していた、大阪港大連港連絡航路の貨客船。当時最新の機関を備えた高速船として1937年に建造された。太平洋戦争後期の1944年10月にアメリカ海軍潜水艦により撃沈された。なお、大連汽船も同名の貨物船「黒龍丸」(6,112総トン)を同時期に運航しているが、異なる船である。

建造

大阪商船は命令航路として大阪・大連航路の貨客船を運航していた。1930年代船舶改善助成施設など政府の補助金交付による新型商船の建造が進む中、大阪商船は、助成対象船以外にも独自の船質改善を図ることにした[4]。そのうち、満州国建国などで需要が高まっている大連航路増強のために計画されたのが、「黒龍丸」と「鴨緑丸」から成る黒龍丸級貨客船である。

黒龍丸級は、1935年(昭和10年)に同じ大連航路へ就航したばかりの吉林丸級貨客船をさらに改良したもので、基本設計は「ばいかる丸」以来「うらる丸」などの大連航路船の流れをくむ蒸気タービン推進の高速貨客船である。主任設計者は他の大阪商船新鋭船と同じく和辻春樹が担当した。和辻は、シアー(en, 舷弧:船首尾方向の甲板の反り上がり)とキャンバー(en, 梁矢:船側方向の甲板の曲面)を廃止した「高千穂丸」の船体設計により居住性や建造の容易さを高めて好評を博していたところ、本船もシアー・キャンバーを廃した典型的な和辻デザインとなっている[5]

新鋭の高速船ということで、機関関係の設備も優秀なものが搭載された。主機械には、吉林丸型や高千穂丸型で成功した三菱ツェリー(en)の衝動式蒸気タービンエンジンを採用した。ボイラーは水管式で、27kg/cm2の高圧を発揮する燃料効率に優れたものである。燃料は石油ではなく石炭であるが、新型のテイラー式下込め自動給炭装置を日本で初めて装備し、16ノットの高い航海速力を維持できた[5]

建造は三菱長崎造船所に発注され、1936年(昭和11年)9月19日起工、翌1937年(昭和12年)2月進水、同年7月31日に竣工。8月14日就航した。

運用

1937年8月15日に神戸港から大連への初航海に出た。太平洋戦争が勃発しても前半は徴用されず、そのまま民間船として運航された。1943年(昭和18年)8月29日に、黄海で貨物船「長順丸」(大連汽船:2,246総トン)と衝突し、相手方を沈没させる事故を起こしている[6]

戦況が悪化した大戦後半になると、「黒龍丸」は輸送船の不足から軍の徴用を受けないまま軍事輸送に従事する陸軍臨時配当船(AC船)に指定された。ルソン島への増援部隊輸送のため、1944年(昭和19年)8月にヒ73船団に加入して門司港を出たが、機関の排煙の色が濃く敵潜水艦に発見される危険が高いとして「瑞穂丸」、「あらびあ丸」とともに分離された。3隻でモタ25船団を編成して海防艦3隻の護衛で9月4日に高雄港へ到着、さらに別の護送船団に加入してマニラに到着した。兵員や物資を揚陸後、日本へ帰国する遭難船員・一般民間人・傷病兵など695人を収容し[7]、10月21日にマタ30船団に加わってマニラから高雄へ向かった。しかし、10月24日0100、ルソン島ボヘアドール岬北西洋上で右舷2番船倉、機関室に魚雷1本ずつが命中し、1時半にスクリューをゆっくりと回しながら横転、船首から沈没した[8]。乗員を除く乗船者のうち324人が行方不明となった[7]。 その後、魚雷は「シードラゴン」からのものだと判断されたが[9]、「シードラゴン」は「黒龍丸」の被雷時刻にはなんら戦闘行為を行っておらず[10]、ほぼ同じ時刻に「7,500トン級輸送船」に魚雷を2本命中させた「スヌーク」こそが、「黒龍丸」を撃沈した真の潜水艦の可能性もある[注 1]

脚注

注釈

  1. ^ スヌークの戦時日誌記載の時刻と日本側時刻との時差は約1時間であり、日本側がプラス1時間[11][12]

出典

  1. ^ 黒龍丸
  2. ^ 運輸通信省海運総局(編) 『昭和十八年版 日本汽船名簿(内地・朝鮮・台湾・関東州)』 運輸通信省海運総局、1943年、内地在籍船の部118頁、アジア歴史資料センター(JACAR) Ref.C08050083200、画像34枚目。
  3. ^ Kokuryu_Maru_Class
  4. ^ 大阪商船三井船舶(1966年)、428頁。
  5. ^ a b 大阪商船三井船舶(1966年)、434頁。
  6. ^ 野間(2002年)、394-395頁。
  7. ^ a b 第二復員局残務処理部 『船舶輸送間に於ける遭難部隊資料(陸軍)』 JACAR Ref.C08050112500、画像38枚目。
  8. ^ #駒宮(1)p.54,60
  9. ^ Cressman, Robert J. The Official Chronology of the US Navy in World War II, Annapolis: MD, Naval Institute Press, 1999, p. 561.
  10. ^ #USS SEADRAGON, Part 2p.90, pp.100-105
  11. ^ #SS-279, USS SNOOK
  12. ^ #駒宮 (1)p.60

参考文献

外部リンク


黒竜丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/28 01:16 UTC 版)

黒竜丸黒龍丸福井藩の蒸気船。同藩で唯一の蒸気船である[1]。後、幕府海軍所属となった。

アメリカのトーマス・ハント商会により黄埔で建造された「Kumsing」を購入したもので、文久3年5月1日に引き渡しが完了し、5月10日に越前に着いた[2]。購入価格は13万ドルとも12万5000ドルともされる[3]

「黒竜丸」は木製スクリュー式蒸気船で、資料により差異はあるが長さ52m、幅7.4m、深さ4m程度である[4]

文久3年7月、「黒竜丸」は上京計画に関する熊本藩と薩摩藩への使者を運んだ[5]。薩摩では「黒竜丸」を借りたいとの求めを受け、「黒竜丸」は薩摩藩へ借り出されている[5]

文久3年末から4年初めの将軍徳川家茂の軍艦による再上洛の際、「黒竜丸」も動員された[6]。この時は幕府へ貸し出すという形になっており、塚本桓輔が艦長を務めた[7]

福井藩内では「黒竜丸」に対する不満があり、薩摩藩への売却案も出された[8]。「黒竜丸」は幕府の人員輸送に従事するなど事実上幕府の輸送船となり、最終的に幕府へ金四万五千両で売却され、元治元年7月19日に幕府海軍所属となった。[8]

元治元年の天狗党の乱時、10月5日の追討軍などの那珂港攻撃の際に「黒竜丸」は艦砲射撃を実施した[9]

元治元年2月、輸送船との区別のため軍艦は「丸」を省いて呼ぶこととされた[10]。この際、「黒竜」他5隻が軍艦とされている[10]

慶応3年10月、本牧沖で座礁した[11]。後、売却され「金星丸」と改名[12]。明治5年1月、北米へ漂着[13]

脚注

  1. ^ 「幕末福井藩の洋式船と航海記」109ページ
  2. ^ 「幕末福井藩の洋式船と航海記」110-111ページ
  3. ^ 「幕末福井藩の洋式船と航海記」111ページ
  4. ^ 「幕末福井藩の洋式船と航海記」110、121ページ
  5. ^ a b 「幕末福井藩の洋式船と航海記」112ページ
  6. ^ 『幕府海軍の興亡』152ページ
  7. ^ 「幕末福井藩の洋式船と航海記」112-113ページ
  8. ^ a b 「幕末福井藩の洋式船と航海記」113ページ
  9. ^ 『幕府海軍の興亡』176ページ
  10. ^ a b 『幕府海軍の興亡』170ページ
  11. ^ 「幕末福井藩の洋式船と航海記」113-114ページ
  12. ^ 「19.元静岡県所持蒸汽黒龍丸ヲ兵庫加納久三郎ヘ売渡同人金星丸ト改名セシ船ニ付テノ諸件 明治五年」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B11092320600、船艦購入及売渡雑件 第四巻(B-3-6-3-1_004)(外務省外交史料館)
  13. ^ 「幕末福井藩の洋式船と航海記」114ページ

参考文献


黒竜丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 03:12 UTC 版)

ドラゴンクエストIX 星空の守り人」の記事における「黒竜丸」の解説

「黒い流れ星」と呼ばれている魔物片時も休むことなく空を走り見つけた者の命を奪う死の黒馬。天空宮殿は自らのもので、人間失敗作だと語る。

※この「黒竜丸」の解説は、「ドラゴンクエストIX 星空の守り人」の解説の一部です。
「黒竜丸」を含む「ドラゴンクエストIX 星空の守り人」の記事については、「ドラゴンクエストIX 星空の守り人」の概要を参照ください。

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