初桜_(駆逐艦)とは? わかりやすく解説

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初桜 (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/30 16:04 UTC 版)

初桜
基本情報
建造所 横須賀海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
級名 松型駆逐艦[1]
艦歴
計画 1944年度(昭和19年度)計画
起工 1944年12月14日
進水 1945年2月10日
竣工 1945年5月28日
除籍 1945年9月15日
その後 1947年7月29日、ソ連へ引き渡し
要目(計画値)
基準排水量 1,262 トン
公試排水量 1,530 トン
全長 100.00 m
最大幅 9.35 m
吃水 3.30 m
主缶 ロ号艦本式ボイラー×2基
主機 艦本式タービン×2基
出力 19,000 馬力
推進器 スクリュープロペラ×2軸
速力 27.8 ノット
燃料 重油 370 t
航続距離 3,500 海里/18ノット
乗員 211 名
兵装
レーダー 22号電探×1基
ソナー 四式水中聴音機×1基
三式探信儀一型×1基
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初桜(はつざくら、旧字体初櫻)は、日本海軍駆逐艦[2]。仮称5522号艦、松型駆逐艦[1]橘型/改松型)[3][注釈 1]の1艦として横須賀海軍工廠で建造された。 日本降伏に際し[5]降伏文書調印のため相模湾に到着した連合軍艦隊および戦艦ミズーリ」を出迎えた[6][7]

艦名は「その年初めて開いたの花、また、咲いてまもない桜の花」[8]のこと。

艦歴

竣工

竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(司令官高間完少将)に編入され[9]、特令あるまで待機を行うよう命じられ[10]、6月4日付で駆逐艦」とともに横須賀鎮守府部隊に編入された[11]。7月18日、第38任務部隊空母機動部隊)は戦艦長門」撃沈を狙って横須賀港や周辺地域に空襲を敢行した。「長門」は損傷したが[12]、本艦は無事であった[13]。8月8日、芹野富雄大尉が初桜水雷長に、左近允尚敏大尉が初桜航海長に補職された[14][注釈 2]。その後、戦闘を経験する事なく終戦の日を迎えた[13]

終戦後

初桜の左舷側。軍艦旗は掲げられているが、艦首主砲を始め全ての武装が無人の最俯角状態となっている[16]。手前の艦はアメリカ海軍駆逐艦「ニコラス[6]。(1945年8月27日)

8月27日[17]アメリカ海軍第3艦隊(司令長艦ウィリアム・ハルゼー・ジュニア中将)が日本列島本州相模湾逗子市沖合に到着した[5][18]日本軍使水先案内人を送るために「初桜」を派遣し[注釈 3]、戦艦「ミズーリ (USS Missouri, BB-63) 」を中心とする連合国の艦隊と会合した[15][20][21]。 「初桜」から通訳や水先案内人が駆逐艦「ニコラス (USS Nicholas, DD-449)」を経由して[7]、「ミズーリ」に移乗した[6][22]。「ミズーリ」で日本人将校と水先案内人を出迎えたのは、第3艦隊参謀長ロバート・カーニー少将であった[17][23]

なお日本側の水先案内人全員が「ミズーリ」に移乗したのではなく、「ニコラス」から駆逐艦「ストックハム英語版[24]駆逐艦ウォルドロン英語版」、イギリス駆逐艦ウェルプ英語版」、高速輸送艦ゴッセリン英語版」に分散移乗した[7]

その時の映像が残っており、航行する「初桜」や[6][25]、水先案内人が「ミズーリ」以外にもイギリス戦艦「デューク・オブ・ヨーク (HMS Duke of York, 17) 」に移乗する様子がわかる[26]

8月29日、「ミズーリ」以下[22]、連合国艦隊約200隻は「初桜」の先導の下、東京湾に入港した。機雷原があるため一列縦隊で進入した[13]9月1日アイオワ級戦艦コロラド級戦艦戦艦サウスダコタ」(チェスター・ニミッツ提督旗艦)[23]キング・ジョージ5世級戦艦が並ぶなかで[27]、戦艦「アイオワ (USS Iowa, BB-61) 」から「初桜」が撮影されている[28]。 翌2日[5]、ミズーリ号の艦上で大日本帝国の降伏文書調印式が行われた[29][30]

「初桜」は9月15日に除籍。行動可能だったので、日本人の復員輸送に従事することになった[31]。12月1日特別輸送艦に指定される。

その後、ソ連へ賠償艦として引き渡すことになり、1947年(昭和22年)7月5日には佐伯にて「風のある、軽薄な」という意味の「ヴェートレンヌイロシア語:Ветреныйヴィェートリェンヌィイ)」に改称され、艦隊水雷艇(駆逐艦のこと)としてソ連海軍へ編入された。7月29日[16]ナホトカでソ連側に引渡され、1947年8月中旬にはウラジオストクへ回航された。10月22日には艦名は「表情豊かな、意味深長な」という意味の「ヴィラジーテリヌィイВыразительныйヴィラズィーチェリヌィイ)」に改称された。

ソ連海軍

「ヴィラジーテリヌィイ」は1949年までウラジオストクに係留されたが、同年3月中旬には標的艦に類別を変更された。6月17日には、「TsL-26ЦЛ-26ツェエール・ドヴァーッツァチ・シェースチ、「TsL」は「標的艦」(корабль цель)の略)」に改称された。1951年から1953年にかけてソヴィエツカヤ・ガヴァニにあった第199造船工場の施設にて中期修理を受けた。これにより、同型艦とあわせて標的艦仕様に改修された。1959年2月19日には退役し、解体された。

「ヴェートレンヌイ」という名称を持つ駆逐艦はその後は建造されなかったが、「ヴィラジーテリヌイ」の艦名は30-bis号計画型駆逐艦に受け継がれた。

歴代艦長

※『艦長たちの軍艦史』372頁による。

艤装員長

  1. 青木厚一 大尉 1945年4月20日-

駆逐艦長

  1. 青木厚一 大尉 1945年5月28日-

出典

  1. ^ 日本海軍の艦艇類別等級で「橘型駆逐艦」は存在せず、全て「松型駆逐艦」である[4]
  2. ^ 芹野は時雨航海長(沈没)、初霜水雷長(沈没)を経て、初桜水雷長に補職された[14]。左近允は重巡熊野航海士(沈没)、駆逐艦「」航海長(沈没)を経て、「初桜」航海長に補職された[15]
  3. ^ 連合国艦隊を出迎える役目は海防艦四阪」だったが、連合国艦隊の到着が悪天候で遅れたため横須賀に帰投し、「初桜」が代艦となった[19]

脚注

  1. ^ a b 秘海軍公報、1月(2), p. 7昭和20年内令第13号、初桜が松型駆逐艦に類別されている
  2. ^ 秘海軍公報、1月(2), pp. 5–6.
  3. ^ 建造中水上艦艇主要要目及特徴一覧表/返赤26002000 (国立公文書館) 」 アジア歴史資料センター Ref.A03032074600  画像11〔 橘(丁改)〕
  4. ^ 8月(2)/昭和20年1月2日 昭和20年8月30日 秘海軍公報/0法令-海軍(二復)公報-159(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070530000  画像27(が「松型駆逐艦」より除籍されている。
  5. ^ a b c 日本ニュース第256号/チャプター3 連合国艦隊相模湾へ(8月27日)/チャプター6 帝国全権 降伏文書に調印”. nhk.or.jp/archives. NHKアーカイブス (1945年). 2025年3月28日閲覧。
  6. ^ a b c d USS MISSOURI BY USS NICHOLAS”. www.archives.gov. NARA (1945年). 2025年3月22日閲覧。(カラー映像)
  7. ^ a b c USS NICHOLAS - War Diary, 8/1-31/45”. www.archives.gov. NARA (1945年). 2025年3月22日閲覧。 p.9(1945年8月27日の日誌、初桜との会合)
  8. ^ 『連合艦隊軍艦銘銘伝』458頁。
  9. ^ #S1906第11水戦日誌 (7), p.55
  10. ^ #S1906第11水戦日誌 (7), pp.55,56
  11. ^ #S1906第11水戦日誌 (8), pp.4,10
  12. ^ NAGATO & Japanese NAVAL BASE AT YOKOSUKA”. www.archives.gov. NARA (1945年8月27日). 2025年3月22日閲覧。
  13. ^ a b c 終戦と降伏仮調印”. 2025年3月28日閲覧。
  14. ^ a b 昭和20年8月16日(発令8月8日)海軍辞令公報(甲)第1887号 p.16」 アジア歴史資料センター Ref.C13072106900 
  15. ^ a b 左近允尚敏元海将インタビユー”. www.naniwakai-navy.com. なにわ会 (2008年). 2025年3月28日閲覧。
  16. ^ a b 「思い出の日本軍艦 終戦時の「松」型駆逐艦」 『世界の艦船』第416集(1990年1月特大号) 海人社 P.217
  17. ^ a b わが軍使米艦へ”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nankin Tairiku Shinpō, 1945.08.30. pp. 01. 2025年3月31日閲覧。
  18. ^ 3RD US. FLEET OFF JAPAN”. www.archives.gov. NARA (1945年8月27日). 2025年3月22日閲覧。(モノクロ映像)
  19. ^ 軍艦武藏、下巻 2003, p. 581.
  20. ^ Japanese SURRENDER DELEGATES TRANSFERED TO USS MISSOURI BY USS NICHOLAS”. www.archives.gov. NARA (1945年). 2025年3月22日閲覧。(モノクロ映像)
  21. ^ USS IOWA - War Diary, 8/1-31/45”. www.archives.gov. NARA (1945年). 2025年3月22日閲覧。 p.15(1945年8月27日記録、初桜との会合)
  22. ^ a b USS MISSOURI - War Diary, 8/1-31/45”. www.archives.gov. NARA (1945年). 2025年3月22日閲覧。 pp.12-13(1945年8月27日記録、初桜との会合)
  23. ^ a b わが軍使一行ミズリー艦へ”. Hoji Shinbun Digital Collection. Shōnan Shinbun, 1945.08.31. pp. 01. 2025年3月31日閲覧。
  24. ^ 軍艦武藏、下巻 2003, p. 584.
  25. ^ U.S. FLEET OFF TOKYO: AERIALS OF P.C.W. CAMP”. www.archives.gov. NARA (1945年8月27日). 2025年3月28日閲覧。(カラー映像、航行する初桜が映る)
  26. ^ JAPANESE HARBOR PILOTS BOARD DUKE OF YORK (SURRENDER PRELIMINARIES.)”. www.archives.gov. NARA (1945年8月27日). 2025年3月22日閲覧。(開始から間もなく航行中の「初桜」映像)
  27. ^ USS IOWA - War Diary, 9/1-30/45”. www.archives.gov. NARA (1945年). 2025年3月22日閲覧。 p.1(1945年9月1日の日誌)
  28. ^ SHIPS IN TOKYO BAY; MT. FUJI*12619 (itself)(Prod.: USS IOWA)(9/1/45)”. www.archives.gov. NARA (1945年9月1日). 2025年3月22日閲覧。(動画開始2分57秒ころ)
  29. ^ USS MISSOURI - War Diary, 9/1-30/45”. www.archives.gov. NARA (1945年). 2025年3月22日閲覧。 pp.12-13(1945年9月2日、降伏調印時の日誌)
  30. ^ SURRENDER CEREMONIES ABOARD THE USS MISSOURI, TOKYO BAY, YOKOHAMA, JAPAN”. www.archives.gov. NARA (1945年8月27日). 2025年3月28日閲覧。
  31. ^ NAVAL SHIPPING CONTROL AUTHORITY FOR JAPANESE MARINE, ADMINISTRATOR - War Diary, 10/1-31/45”. www.archives.gov. NARA (1945年8月27日). 2025年3月28日閲覧。 p.9

参考文献

関連項目

外部リンク




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