米潜水艦ホークビルとの闘い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 16:15 UTC 版)
「神風 (2代神風型駆逐艦)」の記事における「米潜水艦ホークビルとの闘い」の解説
1945年(昭和20年)7月15日、神風は特設掃海艇3隻と共に、輸送船3隻を護衛してシンガポールを出撃した。ハティエンに向け航行中の18日昼過ぎに連合軍の潜水艦の跳梁するマレー半島テンゴール岬沖(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯04度10分 東経106度30分 / 北緯4.167度 東経106.500度 / 4.167; 106.500)に差しかかったため、輸送船は陸地に近づいて航行し、神風は沖に出て之字運動を開始した。 米潜水艦ホークビルが船団を発見し、神風を攻撃目標に艦首から魚雷6本を発射した 。しかし潜望鏡やソナーでホークビルを探知していた神風は回避し、魚雷は神風の両側を通過した。20分後、神風がホークビルとの距離を800メートルまで縮めたところで、ホークビルは艦尾から魚雷を3本発射。ホークビルは命中を確信し、潜望鏡を上げて確認しようとしたが、神風はこの攻撃も回避した。魚雷1本は、神風の左舷2-3メートルの海中をかすめたという。ホークビルは神風の至近を潜望鏡深度で通過した。 神風が爆雷を投下し、損傷したホークビルは急浮上して、艦首を海上に急角度で突き出した。神風は艦尾の40ミリ連装機銃で攻撃し、ホークビルのスキャンランド艦長は5インチ砲での海上砲撃戦を覚悟した。しかし急速注水に成功し、ホークビルは深度33メートルの海底に沈座した。神風は19時過ぎまで爆雷攻撃を繰り返した後、海面の木片や油膜から撃沈確実と判断し、船団を追って海域を退去した。ホークビルの乗員は、神風が上を通過するたびに撃沈を覚悟したという。ホークビルは日付が19日に変わってすぐに浮上したが、ジャイロコンパス、温度計、減速装置、無線装置、音響兵器などが故障したため、スービック湾で修理を行った。帰投中に再び神風が護衛する輸送船団と遭遇したが、戦闘は起きなかった。 神風の敢闘はアメリカ海軍から高く評価され、スキャンランド艦長は1953年(昭和28年)11月、春日艦長に手紙を送った。以来、幾度か文通し、スキャンランド艦長は春日を「最も熟練した駆逐艦艦長」と称えた。春日は「今思うと、沈めんでよかった。何かこれでほッとした気持です」と述懐した。 神風は8月15日、シンガポールで終戦を迎えた。
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