米清貿易からアヘン戦争を経て
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 05:57 UTC 版)
「米中関係」の記事における「米清貿易からアヘン戦争を経て」の解説
米中関係は、独立戦争後の1784年に商船エンプレス・オブ・チャイナ号が清国時代の広州に辿り着いた時から始まった。米清貿易で仲買商人は巨万の富を得、アメリカで最初の世代の億万長者となった。中国からの輸出品は消費者市場を開拓しようとする欧米商人の商売意欲をかきたてた。 その後、1842年に阿片戦争が終結。清国は南京条約を締結し、多くの港の開港を余儀なくされた。これにより米清関係の貿易は強化される一方、南京条約の効果によりイギリスの権益が増大し、アメリカ商人の権益を圧迫するという脅威が深刻になっていた。そこでジョン・タイラー大統領は清国と望厦条約を締結し、イギリスだけでなくアメリカの治外法権も認めさせた。以降米清貿易は新たな時代を迎え、アメリカは他の列強とともに貿易で特権を得た。 1857年、第二次アヘン戦争(アロー戦争)の敗北後、咸豊帝は北京から逃れ、彼の弟である恭親王により天津条約が批准、1860年10月18日には北京条約が締結された。この条約には当時閉鎖都市であった北京へのイギリス・フランス・ロシア・アメリカ公使の駐留が条件として含まれていた。
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