第1、第2の哨戒 1944年5月 - 8月とは? わかりやすく解説

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第1、第2の哨戒 1944年5月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 18:54 UTC 版)

シャーク (SS-314)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年5月 - 8月」の解説

5月16日シャーク最初哨戒でピンタド (USS Pintado, SS-387) 、パイロットフィッシュ (USS Pilotfish, SS-386) と共にウルフパック構成しマリアナ諸島方面向かった6月2日早朝シャーク敵船団と遭遇した。この船団サイパンから横須賀向かっていた4530船団であり、8隻の各種貨物船駆逐艦旗風以下の護衛艦艇で構成されていた。シャークパハロス島西方海域タンカーに対して魚雷発射する魚雷タンカー外れ別の貨物船千代丸栃木汽船、4,700トン)に命中、これを撃沈するシャーク爆雷による反撃回避し哨戒継続した2日後6月4日シャーク厳重に護衛され別の船団第3530船団追跡する攻撃位置移動したシャーク前方駆逐艦接近した攻撃位置への移動失敗したシャーク敵艦左舷180ヤード通過し物資満載した貨物船に対して15時29分ごろに4本の魚雷発射した。この攻撃勝川丸(川崎汽船、6,886トン)を撃沈し護衛艦からの攻撃回避したシャーク浮上して追跡継続した6月5日午後船団追いつき16時45分に6発の魚雷発射貨客船高岡丸(日本郵船、7,006トン)は初弾交わしたものの3本命中し沈没貨物船たまひめ丸(浜根汽船、3,080トン)も高岡被雷とほぼ同時刻に被雷沈没したシャーク護衛艦攻撃を再び回避し真夜中近く浮上した船団追いつくことはできなかった。6月17日シャーク32日間行動終えてミッドウェー島帰投した。 7月10日シャーク2回目の哨戒小笠原諸島方面向かった7月19日シャーク北緯2708東経14146分 / 北緯27.133度 東経141.767度 / 27.133; 141.767の地点敵船に対して4本の魚雷発射するが、船団鋭く方向変え魚雷命中しなかった。8月1日シャークは再び船団遭遇攻撃位置移動したが、3隻の護衛艦による攻撃のため船団への攻撃を行うことはできなかった。その日午後シャーク硫黄島近海向かい空母機動部隊救助巡航任務当たった8月4日午後シャーク空母レキシントン (USS Lexington, CV-16) 所属墜落した雷撃機パイロット2名を救出した8月19日シャーク50日間行動終えてミッドウェー島帰投後日真珠湾回航された。

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