第1、第2の哨戒 1944年2月 - 5月
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「ロック (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年2月 - 5月」の解説
1944年2月8日、ロックは最初の哨戒で東シナ海方面に向かった。2月29日、ロックは南西諸島付近を航行中にで日本の重要船団を発見した。この船団は、釜山からグアム島へ第29師団の陸軍兵士を輸送する『松輸送』船団の内の一つであり、安芸丸(日本郵船、11,409トン)、東山丸(大阪商船、8,666トン)、崎戸丸(日本郵船、9,247トン)の3隻の陸軍輸送船が中心となり、朝霜、岸波、沖波の3隻の駆逐艦で構成されていた。ロックは夜間の2時49分頃に浮上して船団に接近したが、この時ロックの右斜め前方約6キロの地点にいた朝霜に察知され、ロックは照準することなく後部発射管から4発の魚雷を放射状に発射した。その後ロックは朝霜の右舷側に移り、朝霜のサーチライトと12.7センチ砲の発射炎によって照らされながら潜航した。しかし、潜航しかけた時に砲弾が潜望鏡支柱に命中し、潜望鏡が昼間用および夜間用の両方とも破損、またレーダーマストに浸水するなど大小さまざまな被害を受けていた。この後、4時間に及ぶ爆雷攻撃をしのいだロックは夜になって浮上し、船団発見の旨を報告した。この船団はやがて、ロックの通報を受けたトラウト (USS Trout, SS-202) が攻撃し、夕刻に崎戸丸を撃沈するも朝霜によってトラウトも撃沈されることとなった。ロックは損傷を修理するためミッドウェー島を経て、35日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 4月4日、ロックは2回目の哨戒で日本近海に向かった。豊後水道および相模湾を哨戒したが敵に接することなく、55日間の行動を終えてマジュロに帰投し、潜水母艦スペリー(英語版) (USS Sperry, AS-12) による修理を受けた。
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