第1、第2の哨戒 1944年2月 - 5月とは? わかりやすく解説

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第1、第2の哨戒 1944年2月 - 5月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 08:15 UTC 版)

ロック (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年2月 - 5月」の解説

1944年2月8日ロック最初哨戒東シナ海方面向かった2月29日ロック南西諸島付近航行中にで日本の重要船団発見した。この船団は、釜山からグアム島へ第29師団陸軍兵士輸送する松輸送船団内の一つであり、安芸丸日本郵船11,409トン)、東山丸大阪商船、8,666トン)、崎戸丸日本郵船、9,247トン)の3隻の陸軍輸送船中心となり、朝霜岸波沖波の3隻の駆逐艦構成されていた。ロック夜間の2時49分頃に浮上して船団接近したが、この時ロックの右斜め前方約6キロ地点にいた朝霜察知されロック照準することなく後部発射管から4発の魚雷放射状発射したその後ロック朝霜の右舷側に移り朝霜のサーチライトと12.7センチ砲の発射炎によって照らされながら潜航した。しかし、潜航しかけた時に砲弾潜望鏡支柱命中し潜望鏡昼間用および夜間用の両方とも破損、またレーダーマストに浸水するなど大小さまざまな被害受けていた。この後4時間に及ぶ爆雷攻撃しのいだロック夜になって浮上し船団発見の旨を報告した。この船団はやがて、ロック通報受けたトラウト (USS Trout, SS-202) が攻撃し夕刻崎戸丸撃沈する朝霜によってトラウト撃沈されることとなったロック損傷修理するためミッドウェー島経て35日間行動終えて真珠湾帰投した。 4月4日ロック2回目の哨戒日本近海向かった豊後水道および相模湾哨戒したが敵に接すことなく55日間行動終えてマジュロ帰投し、潜水母艦スペリー英語版) (USS Sperry, AS-12) による修理受けた

※この「第1、第2の哨戒 1944年2月 - 5月」の解説は、「ロック (潜水艦)」の解説の一部です。
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