フランシス・ボウズ・セイアーとは? わかりやすく解説

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フランシス・ボウズ・セイアー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/04 20:20 UTC 版)

フランシス・ボウズ・セイアー・シニア
Francis Bowes Sayre Sr.
1913年頃
フィリピン高等弁務官
任期
1939年10月28日 – 1942年10月12日
大統領 フランクリン・ルーズベルト
前任者 ウェルドン・ジョーンズ英語版 (代行)
後任者 ハロルド・L・イケス
個人情報
生誕 (1885-04-30) 1885年4月30日
アメリカ合衆国 ペンシルベニア州ベスレヘム
死没 (1972-03-29) 1972年3月29日(86歳没)
アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
墓地 ワシントン大聖堂
配偶者
ジェシー・ウッドロウ・ウィルソン・セイアー
(結婚 1913年、死別 1933年)
エリザベス・エヴァンス・グレイヴス・セイアー(結婚 1937年)
子供 フランシス・ジュニア英語版エレノア英語版を含む3人
親族 ジョン・ネヴィン・セイアー英語版 (兄)
出身校 ウィリアムズ大学
ハーバード・ロー・スクール
職業 法律家、外交官、教育者

フランシス・ボウズ・セイアー・シニア(Francis Bowes Sayre Sr., 1885年4月30日 - 1972年3月29日)は、アメリカ合衆国の政治家。

生涯

1885年4月30日ペンシルベニア州サウスベスレヘムにおいて、鉄道技師ロバート・ヒーシャム・セイアー (Robert Heysham Sayre, 1824-1907) の息子として誕生した。

1909年ウィリアムズ大学を卒業し、1912年ハーバード大学法科大学院で法学の学位を取得した。同年、ニューファウンドランドラブラドルに渡り、ウィルフレッド・グレンフェルの医療活動を補佐した。1913年、ニューヨークの地方検事補となった。

1914年ウィリアムズ大学の学長補佐に就任した。1916年カーネギー国際平和基金の出資を得てウィリアムズ大学で国際法の課程を創設した。セイアーはウィリアムズ大学で1918年まで国際法の教職を務めた。1917年6月、ウィリアムズ大学を離れた。フランスキリスト教青年会にわずかな期間参加した後、ハーバード大学法科大学院での教職を受理した。セイアーは国際法、海事法、刑法、労働法を担当し、1934年まで教職を務めた。

1933年11月17日フランクリン・ルーズベルト大統領から国務次官補に任命された。セイアーは同年11月27日に着任し、1939年8月7日まで国務次官補を務めた。1939年から1942年までフィリピン高等弁務官を務めた。

1940年5月に来日し、有田八郎外相と数回にわたって会談した。セイアーは有田に太平洋における不可侵条約中国に駐留していた日本軍の撤退を提案したが、日本側により拒否された[1]。同年5月3日、昭和天皇に謁見した。

1953年11月13日、昭和天皇に2度目の謁見をする。この際の肩書は、立教大学顧問兼講師及びアメリカエピスコパル派教会駐日代表であった[2]

1972年3月29日、セイアーはワシントンD.C.において死去した。

家族

1913年、セイアーはウッドロウ・ウィルソン大統領の娘のジェシー・ウッドロウ・ウィルソン (Jessie Woodrow Wilson, 1887-1933) と結婚した。2人は同年11月ホワイトハウスで挙式を行った。2人の間にはフランシス・セイアー英語版 (Francis Sayer, 1915-2008)、エレノア・セイアー英語版 (Eleanor Sayre, 1916-2001)、ウッドロウ・ウィルソン・セイアー (Woodrow Wilson Sayre, 1919-2002) が生まれた。セイアーは1837年にエリザベス・エヴァンズ・グレイヴス (Elizabeth Evans Graves) と再婚した。

参考文献

  • Who Was Who in America, v. 5 (1969-1973), Chicago:Marquis, 1973, p. 636. ISBN 0-8379-0205-3

脚注

  1. ^ Nester, William (1996). Power Across the Pacific: A History of America's Relations With Japan, p. 124
  2. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第11』東京書籍、2017年3月30日、621頁。ISBN 978-4-487-74411-4 
公職
先代
ポール・マクナット
フィリピン高等弁務官
1939年 - 1942年
次代
ポール・マクナット



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