1945年1月-3月 第百三戦隊/沈没とは? わかりやすく解説

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1945年1月-3月 第百三戦隊/沈没

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/14 13:36 UTC 版)

第十八号海防艦」の記事における「1945年1月-3月 第百三戦隊/沈没」の解説

1945年1月5日から6日にかけて、有川湾沖で機雷敷設実施する第十八戦隊護衛13日佐世保鎮守府作戦指揮解かれ第一護衛艦隊復帰13日から20日まで、佐世保海軍工廠修理整備を行う。20日第一護衛艦隊隷下新編された第百三戦隊編入22日モホ01船団(4隻)を粟国らと護衛して香港へ向け門司発。2月2日香港着。 2月4日復航ホモ01船団(5隻)を護衛して門司へ向け香港発。山東沖で仮泊中の11日第一南遣艦隊作戦指揮下に編入軍隊区分第一南遣護衛部隊に配置サンジャック回航20日サシ43船団合同23日シンガポール着。 3月2日、ヒ94船団東亞丸とともに楡林入港3日、ヒ94船団から分離18日本艦第一南遣艦隊作戦指揮解かれ第百三戦隊復帰19日ヒ88J船団護衛して内地へ向けシンガポール発。28日、第130号海防艦協同して被雷した南丸の乗員救助後船団追及した29日午後空襲により被弾沈没した海興丸(蓬莱タンカー:950総トン)の溺者救助に向かうも、仏印ホンボイ島西岸北緯14度44東経10916分 / 北緯14.733度 東経109.267度 / 14.733; 109.267の地点アメリカ陸軍機の攻撃を受け、両艦とも被爆し沈没した海防艦長下方弘麿少佐下乗184全員戦死認定された。 5月25日第十八号海防艦帝国海防艦籍から除かれ第二号型海防艦から削除された。

※この「1945年1月-3月 第百三戦隊/沈没」の解説は、「第十八号海防艦」の解説の一部です。
「1945年1月-3月 第百三戦隊/沈没」を含む「第十八号海防艦」の記事については、「第十八号海防艦」の概要を参照ください。

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