1945年1月-3月 第百三戦隊/沈没
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「第十八号海防艦」の記事における「1945年1月-3月 第百三戦隊/沈没」の解説
1945年1月5日から6日にかけて、有川湾沖で機雷敷設を実施する第十八戦隊を護衛。13日、佐世保鎮守府作戦指揮を解かれ、第一護衛艦隊に復帰。13日から20日まで、佐世保海軍工廠で修理と整備を行う。20日、第一護衛艦隊隷下に新編された第百三戦隊に編入。22日、モホ01船団(4隻)を粟国らと護衛して香港へ向け門司発。2月2日、香港着。 2月4日、復航ホモ01船団(5隻)を護衛して門司へ向け香港発。山東沖で仮泊中の11日、第一南遣艦隊作戦指揮下に編入。軍隊区分第一南遣護衛部隊に配置。サンジャックへ回航。20日、サシ43船団と合同。23日、シンガポール着。 3月2日、ヒ94船団の東亞丸とともに楡林に入港。3日、ヒ94船団から分離。18日、本艦は第一南遣艦隊作戦指揮を解かれ、第百三戦隊に復帰。19日、ヒ88J船団を護衛して内地へ向けシンガポール発。28日、第130号海防艦と協同して被雷した鳳南丸の乗員を救助後船団に追及した。29日午後、空襲により被弾沈没した海興丸(蓬莱タンカー:950総トン)の溺者救助に向かうも、仏印ホンボイ島西岸沖北緯14度44分 東経109度16分 / 北緯14.733度 東経109.267度 / 14.733; 109.267の地点でアメリカ陸軍機の攻撃を受け、両艦とも被爆し沈没した。海防艦長の下方弘麿少佐以下乗員184名全員戦死と認定された。 5月25日、第十八号海防艦は帝国海防艦籍から除かれ、第二号型海防艦から削除された。
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