1945年1月-8月 第二十二海防隊とは? わかりやすく解説

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1945年1月-8月 第二十二海防隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/14 13:43 UTC 版)

第八号海防艦」の記事における「1945年1月-8月 第二十二海防隊」の解説

1945年1月5日第一護衛艦隊隷下新編された第二十二海防隊に編入10日モタ31船団護衛して門司発。同日唐津湾仮泊11日モタ31船団事故のため発航取りやめとなり、本艦佐世保帰投12日特設運送船辰春丸を六連まで護衛13日佐伯回航し、17日まで同地訓練従事18日門司回航24日第二十二海防隊(第66海防艦欠)はヒ89船団(2隻)を護衛して門司発。25日紅湾、27日七洋口にそれぞれ泊し2月1日中継地の楡林入港2月2日第二十二海防隊は引き続き89船団護衛してシンガポールへ向け楡林発。途中サイゴン経由7日特務艦針尾機関故障起こしたため本艦針尾付き添い船団本隊1日遅れの9日シンガポール着。15日第二十二海防隊は復航90船団(2隻)を護衛してシンガポール発。船団道中で1隻が撃沈されたためカナ錨地、パンフォン湾、泗礁山で避泊を繰り返し3月4日門司着。 3月6日から18日まで第二十二海防隊諸艦は佐世保海軍工廠第二船渠入渠し、修理を行う。20日第二十二海防隊は門司次いで伊万里回航22日第二十二海防隊は寶昭丸船団(寶昭丸)を護衛して楡林へ向け伊万里発。22日鎮海湾に入港24日加徳水道第百一戦隊来、大東、第27海防艦)が護衛してきたシモ01船団合同し同日門司着。寶昭丸の護衛第百一戦隊引き継ぐ25日第二十二海防隊は潜水艦撃滅目的としたAS3作戦参加することとなった第二十二海防隊は軍隊区分第三哨戒部隊配され、泗礁山周辺対潜掃蕩従事31日、AS3作戦部隊の隊内区第十掃蕩隊に配置5月下旬までAS3作戦従事4月25日第二十二海防隊に来、大東竹生、崎戸、対馬編入28日本艦シモ02船団合同し、これを護衛して29日六連着。同日本艦第二十二海防隊の隊内区第四小隊配置以後黄海日本海船団護衛対潜掃蕩従事終戦時大湊所在戦後佐世保回航8月25日佐世保鎮守府第一予備海防艦定められる。 なお、各海防艦艦橋前に装備した三式迫撃砲1945年5月頃に撤去訓令出されていたが、本艦については佐世保海軍軍需部に提出した兵器還納目録に八糎迫撃砲記載があり、終戦時まで迫撃砲装備していたことが判明している。

※この「1945年1月-8月 第二十二海防隊」の解説は、「第八号海防艦」の解説の一部です。
「1945年1月-8月 第二十二海防隊」を含む「第八号海防艦」の記事については、「第八号海防艦」の概要を参照ください。

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