1945年1月-8月 第二十二海防隊
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「第八号海防艦」の記事における「1945年1月-8月 第二十二海防隊」の解説
1945年1月5日、第一護衛艦隊隷下に新編された第二十二海防隊に編入。10日、モタ31船団を護衛して門司発。同日、唐津湾で仮泊。11日、モタ31船団は事故のため発航取りやめとなり、本艦は佐世保へ帰投。12日、特設運送船辰春丸を六連まで護衛。13日佐伯へ回航し、17日まで同地で訓練に従事。18日、門司へ回航。24日、第二十二海防隊(第66号海防艦欠)はヒ89船団(2隻)を護衛して門司発。25日鷲紅湾、27日七洋口にそれぞれ避泊し、2月1日中継地の楡林に入港。 2月2日、第二十二海防隊は引き続きヒ89船団を護衛してシンガポールへ向け楡林発。途中サイゴンを経由。7日、特務艦針尾が機関故障を起こしたため本艦が針尾に付き添い、船団本隊に1日遅れの9日にシンガポール着。15日、第二十二海防隊は復航ヒ90船団(2隻)を護衛してシンガポール発。船団は道中で1隻が撃沈されたためカナ錨地、パンフォン湾、泗礁山で避泊を繰り返し、3月4日門司着。 3月6日から18日まで第二十二海防隊諸艦は佐世保海軍工廠第二船渠に入渠し、修理を行う。20日、第二十二海防隊は門司、次いで伊万里へ回航。22日、第二十二海防隊は寶昭丸船団(寶昭丸)を護衛して楡林へ向け伊万里発。22日、鎮海湾に入港。24日、加徳水道で第百一戦隊(鵜来、大東、第27号海防艦)が護衛してきたシモ01船団と合同し、同日門司着。寶昭丸の護衛は第百一戦隊に引き継ぐ。25日、第二十二海防隊は潜水艦撃滅を目的としたAS3作戦に参加することとなった。第二十二海防隊は軍隊区分第三哨戒部隊に配され、泗礁山周辺で対潜掃蕩に従事。31日、AS3作戦部隊の隊内区分第十五掃蕩隊に配置。5月下旬までAS3作戦に従事。 4月25日、第二十二海防隊に鵜来、大東、竹生、崎戸、対馬が編入。28日、本艦はシモ02船団と合同し、これを護衛して29日六連着。同日、本艦は第二十二海防隊の隊内区分第四小隊に配置。以後黄海、日本海で船団護衛と対潜掃蕩に従事。 終戦時は大湊に所在。戦後佐世保に回航。8月25日、佐世保鎮守府第一予備海防艦に定められる。 なお、各海防艦が艦橋前に装備した三式迫撃砲は1945年5月頃に撤去の訓令が出されていたが、本艦については佐世保海軍軍需部に提出した兵器還納目録に八糎迫撃砲の記載があり、終戦時まで迫撃砲を装備していたことが判明している。
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