第十八戦隊
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前年11月15日、日本海軍は中部太平洋方面を担任する第四艦隊を新編した(司令長官片桐英吉中将)。大本営直轄の独立艦隊とはいっても、第四艦隊の新編時戦力は第十七戦隊(千歳、神威)と第30駆逐隊(睦月、望月)という弱小艦隊であった。日本海軍は第四艦隊の増強を企図し、その中で機雷戦に対応した艦艇を編入する。1940年(昭和15年)5月1日、多摩と機雷敷設艦常磐により第十八戦隊が新編された。同日附で第五潜水戦隊(軽巡洋艦由良、第9潜水隊、第13潜水隊、第21潜水隊)も新編され、第十八戦隊・水上機母艦能登呂は第四艦隊に編入された。当時、第二次世界大戦の生起により日本海軍は蘭印地帯へ示威行動をおこなう事を企図しており、第四艦隊はこの任務に従事した。多摩(第十八戦隊旗艦) は5月15日横須賀を出港し、第四艦隊各艦(千歳、神威、由良、常磐、駆逐隊、潜水隊)も内地を出撃した。第四艦隊は同年9月まで「遠洋航海」の名目でパラオ方面を行動した。同時に、各種訓練に従事した。 同時期、世界情勢の急転にともない海軍の艦隊編制も大幅に変更される。11月15日、第四艦隊は連合艦隊に編入され、同時に第十八戦隊は香取型練習巡洋艦鹿島 と天龍型軽巡洋艦2隻(天龍、龍田)をもって再編された。多摩は横須賀鎮守府所属となった。 なお、1940年10月11日に横浜港沖で行われた紀元二千六百年特別観艦式に第四艦隊の僚艦(由良、能登呂、伊一二二を除く)とともに参加した。
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