1945年6月以降 第三十一海防隊
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「第二十二号海防艦」の記事における「1945年6月以降 第三十一海防隊」の解説
1945年6月1日、名護屋湾を出港して機雷部隊主隊の機雷敷設を警戒。敷設作業終了後は、常磐を第29号海防艦とともに護衛して舞鶴へ回航。3日、舞鶴に入港。同日第十八戦隊解隊。本艦は佐鎮護衛部隊から除かれ、第三十一海防隊に復帰。同日第三十一海防隊は、軍隊区分鮮南方面護衛部隊に配置。11日、舞鶴海軍工廠に入渠。同日、第三十一海防隊は軍隊区分直率護衛部隊に配置。14日、第三十一海防隊は軍隊区分護衛部隊に配置。15日、奄美、本艦、第26号海防艦の3隻で第二掃蕩隊を編成。16日出渠。21日、第二掃蕩隊(奄美欠)は舞鶴を出撃し、七尾湾で対潜掃蕩に従事。23日、第九〇一海軍航空隊機の誘導を受けて、禄剛崎沖で探知したスクリュー音の目標に対して爆雷戦を実施。以後能登半島周辺海域の船団護衛、対潜掃蕩に従事。
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