1945年5月以降 大湊警備府作戦指揮下-沈没
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「第六号海防艦」の記事における「1945年5月以降 大湊警備府作戦指揮下-沈没」の解説
1945年5月6日、大湊警備府作戦指揮下に編入。軍隊区分大警直卒部隊に配置。9日横須賀を出港し、10日大湊着。14日、船団を護衛して小樽へ向け大湊発。15日、小樽着。以後津軽海峡、北海道、千島列島方面の護衛に従事。 8月11日、石油を積載し第16号海防艦とともに室蘭へ向け釧路発。13日、日高沖北緯42度16分 東経142度12分 / 北緯42.267度 東経142.200度 / 42.267; 142.200の地点でアメリカ潜水艦アトゥルの攻撃を受け、被雷。第6号海防艦は大爆発を起こし、無数の残骸を撒き散らして沈没した。海防艦長の安藤英郎少佐以下乗員196名が戦死または行方不明となった。9月15日除籍。
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