1945年8月 - 1947年
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「青函連絡船」の記事における「1945年8月 - 1947年」の解説
戦災による輸送力不足を補うため休止状態の関釜航路・稚泊航路から連絡船を転属させると共に、貨車航送船にも客室(デッキハウス)が造設された。戦争中に着工していた戦時標準船3隻が就航。 航路転属 客船 景福丸元・関釜連絡船。1945年(昭和20年)8月20日、転属就航。1949年(昭和24年)7月30日、終航。1950年(昭和25年)1月25日から1956年(昭和31年)まで、函館桟橋脇で海上ホテルとして営業(運営は鉄道弘済会)。1958年(昭和33年)10月、解体。 昌慶丸元・関釜連絡船。1947年(昭和22年)9月23日、転属就航。1948年(昭和23年)10月10日、終航。洞爺丸事故後、乗組員訓練船として函館港に繋留。 貨物船 壱岐丸(第2代目)元・関釜連絡船。1945年(昭和20年)8月24日、転属就航。1948年(昭和23年)6月5日、終航。1950年(昭和25年)3月1日、国家賠償として朝鮮郵船へ譲渡。 貨客船 宗谷丸元・稚泊連絡船。1945年(昭和20年)11月29日、転属就航。1952年(昭和27年)9月、広島鉄道管理局へ転属。1954年(昭和29年)10月14日 - 12月24日、洞爺丸事故に伴う代替措置として青函航路に再就航。 新製配属 貨車航送船 W型戦時標準船 第十一青函丸1945年(昭和20年)10月9日、就航。1946年(昭和21年)9月、客室を造設し車載客船化。1954年(昭和29年)9月26日、台風沈没。 第十二青函丸1946年(昭和21年)5月15日就航。建造中にデッキハウスを造設し、車載客船として竣工したが、1957年(昭和32年)6月に撤去し、貨車航送船化。1965年(昭和40年)7月2日終航。同年9月10日、三井物産に売却。 貨車航送船 石狩丸型(H型戦時標準船) 石狩丸(初代)1946年(昭和21年)7月23日、就航。デッキハウスを設置した車載客船として竣工したが、1958年(昭和33年)7月に撤去し、貨車航送船化。1965年(昭和40年)9月30日、終航。同年11月27日、三菱商事に売却。
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