関釜航路
関釜航路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:11 UTC 版)
関釜航路に就航後、1942年に釜山港で座礁し、約1ヶ月離脱する。1943年からは博釜航路で運用されていたが、博多湾が機雷封鎖で使用できなくなってしまった。博多湾から無事脱出後の1945年6月からは須佐湾(山口県)を基点として中国大陸との航路で活躍する。 1945年7月30日、退避中の宮津港でアメリカ軍空軍機の空襲に遭遇し、至近弾を受け浸水し擱座。そのまま放置され終戦を迎えた。
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