航路概要とは? わかりやすく解説

航路概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 01:28 UTC 版)

関釜連絡船」の記事における「航路概要」の解説

玄界灘から壱岐をかすめ、対州の東水道進み朝鮮海峡を渡る。 関釜航路 下関 - 釜山 240 km 所要7時30分(1940年10月) 博釜航路 博多 - 釜山 215 km 所要8時間10分(1943年7月

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航路概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 16:13 UTC 版)

稚泊連絡船」の記事における「航路概要」の解説

稚内 - 大泊間:167.0 km営業キロ:210.0 km所要時間:8時間1928年1934年12月当時運賃1928年一等7円50銭、二等5円三等2円50銭。 宗谷海峡は冬になると流氷閉ざされるため、就航船には砕氷船使用された。厳冬期の大泊では氷上旅客貨物の取り扱いをすることもあった。 鉄道連絡船性格上、宗谷本線優等列車接続するダイヤ組み1938年からは稚内側では列車が船に横付けできるよう、稚内駅構内扱い稚内桟橋駅という仮乗降場設けられていた。また大泊側も桟橋上に大泊港駅設けられ樺太東線接続していた。なお、稚内から樺太への定期航路稚泊連絡船の他に北日本汽船経営の稚斗航路稚内 - 本斗間)があり、こちらは樺太西線接続していた。

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航路概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 03:25 UTC 版)

日華連絡船」の記事における「航路概要」の解説

1923年大正13年)から1943年昭和18年)まで、長崎港上海日本郵船匯山碼頭)を結んでいた。運行開始翌年から1938年までは利用者増加を図る目的で、日本側の起点長崎港より神戸港へと移し神戸長崎上海一行程として運行された。運賃長崎(又は神戸)-上海長崎神戸個別設定されており、国内区間のみの乗船も可能であった所要時間長崎神戸22時間長崎上海26時間で、開設当初は週2回、翌年より4日1回運行であった航路開設時の行程往航長崎水曜日曜午前9時発)→上海木曜月曜午後0時到着復航上海金曜火曜午前8時半発)→長崎土曜水曜午前11時半着) 神戸寄航後、1927年昭和2年当時行程往航神戸1日目午前11時発)→長崎2日目午前9時着、午後1時発)→上海3日目午後4時着) 復航上海1日目午前9時発)→長崎2日目午前12時着、午後3時発)→神戸3日目午後3時着)

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