航路休止までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 15:21 UTC 版)
「宇高国道フェリー」の記事における「航路休止までの経緯」の解説
瀬戸大橋開業後も橋の通行料金が高かったためトラックを中心に一定の需要があり、複数会社が競合する状況で20年以上終日等間隔の運行を維持していた。しかし、2008年4月以降は減便を実施し、さらに同年10月と2009年3月に高速道路の大幅な通行料金引き下げがおこなわれると車両輸送は大きく減少した。2010年に一度航路廃止を表明したがこのときは取り下げた。しかし、その後も抜本的な利用状況の好転が見込めないことから、2012年に航路の休止に至った。 2008年4月1日より、深夜から朝にかけて減便が実施され、1日50往復(5隻)から1日37往復(4隻)となった。これにより運賃体系も大幅に変更された。2ヶ月毎の配船で5隻のうち1隻が交代で予備船となった。 2009年12月20日より、終日にわたり減便され、1日22往復となった。同じ航路を運航する四国フェリーとは競合関係にあったが、この減便以降は運航時刻を調整し(両社が交互に出港するようにした)、両社によって発行された往復乗船券や回数券の相互共利用を可能にするなどの協調を行っている。ただし、2010年の16往復への減便時には四国フェリーは減便しなかったため運航時刻は調整していない。一旦便数は元に戻り交互運航に戻ったが、2012年6月の国道フェリー減便後は両社同時刻発の便が発生するなど時刻の調整は打ち切られた。 2010年2月12日、高速道路の大幅割引のため経営が成り立たない事を理由に、同年3月26日最終便をもって四国フェリーともども航路の運航を終了することを発表した。この決定に先立ち、両社での事業統合も模索したが交渉が決裂していた。 しかし、同年3月4日、同社は国土交通省四国運輸局に申請していた航路廃止届を取り下げ、減便の上で当面運航を継続することを単独で発表した。その後、四国フェリーも廃止届を取り下げたことから、宇高航路は2社体制のままで当面の間運航されることとなった。 同年4月1日より国道フェリーは運航便数を16往復(2隻運航、1隻予備)に減らしたが、その後瀬戸内国際芸術祭のため22往復に復旧、その後も継続されていた。ただ、船は22往復の場合3隻体制となり予備船がないため、ドック入りの際には減便をして対応した。 2012年6月3日からは22往復を13往復に減らし、終夜運航をとりやめたが、瀬戸大橋の料金体系が2014年度から引き下げる意向が示されていることなどから、収支改善の見込みがないとして同年10月17日をもって航路休止することが同8月21日に明らかとなり、24日に休止届を四国運輸局に提出した。同社では従業員は関連会社に配置転換するほか、今後については高速艇や観光クルーズ船での再開も視野にいれるとしている。10月17日の高松発14時30分、宇野発16時30分発の便が最終便と告知され、高松発は予定通り、岡山発は定刻より10分遅れの16時40分発を最後に51年の運行に幕を下ろした。 「宇高航路#経営問題」も参照 2013年9月、国道フェリーは10月17日までの運行休止期間を1年間延長することを四国運輸局に届け出た。会社によると、予定される瀬戸大橋通行料金の引き下げ後の水準を見てから運行再開の判断をする予定であるが、現時点では料金水準が示されていないため、休止を延長したという。 しかしその後、報道や発表のないまま休止期間が終了となる2014年10月17日を過ぎており、再度の申請がなされていなければ航路廃止となる。運航継続していた四国フェリーは、瀬戸大橋のETC通行料金引き下げの影響により、2014年7月に早朝深夜運航の取りやめを含む減便を実施した。その後も状況は改善せず、2019年12月15日を最後に運行を休止し、宇高航路は全廃された。
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