瀬戸大橋開業後
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「いしづち (列車)」の記事における「瀬戸大橋開業後」の解説
1988年(昭和63年)4月10日:瀬戸大橋線開業に伴う、ダイヤ改正。予讃本線エル特急の系統を以下のように整理。岡山駅発着エル特急「しおかぜ」5往復。このうち、宇和島駅発着は下り1本、上り2本。 高松駅発着エル特急「いしづち」9往復。このうち、宇和島駅発着は下り3本、上り2本。 急行列車は以下のように変更。なお、急行列車は四国内での運行となり、瀬戸大橋線を経由して本州へ直通する列車は設定されなかった。急行「いよ」は2往復に増便。 夜行急行「うわじま1号」は全区間普通列車に格下げ。これにより「うわじま」は高松駅乗り入れは終了。「うわじま」は下り4本、上り5本とし、新居浜発「うわじま1号」を除き、松山駅 - 宇和島駅間の運行とした。 1989年(平成元年)7月22日:ダイヤ改正により、以下のように変更。「いしづち」1往復が多度津駅 - 松山駅間で「しおかぜ」との連結運転とした。 「いよ」を廃止。 「うわじま」1往復の運行区間を岡山駅まで延長し、「しおかぜ」に昇格。「うわじま」下り3本、上り4本の運行とし、このうち「うわじま1号」のみ新居浜発となった。 1990年(平成2年)11月21日:ダイヤ改正により、次のように変更。「しおかぜ」への2000系気動車投入により、「いしづち」全列車がキハ181系・キハ185系による単独運転に戻る。また「いしづち」1往復減とした。 「うわじま」は全列車エル特急「宇和海」に昇格したうえで、松山駅 - 宇和島駅間運行となる。以降の松山駅 - 宇和島駅間のみ運行の列車の動きについては「宇和海_(列車)」を参照 すべての特急列車が川之江駅に停車するようになる。 特急列車の豊浜駅・伊予土居駅・三津浜駅への停車を取りやめる。 1991年(平成3年)3月16日:「宇和海」が下り1本増発され、上り4本・下り5本になる。 1992年(平成4年)8月15日:8000系電車が臨時特急「いしづち51・56号」として高松駅 - 新居浜駅間で運行開始。 1993年(平成5年)3月18日:「いしづち」の全列車を8000系電車に統一。高松駅 - 松山駅間のみの運転になる。なお、3往復が多度津駅での「しおかぜ」との分割併合を実施。同時に、「宇和海」に2000系気動車を投入し、13往復に増発。停車駅を整理し、伊予中山駅・伊予吉田駅を原則通過とする。 1994年(平成6年)12月3日:このときのダイヤ改正により、特急運転体制の見直し。「いしづち」のうち、高松発宇和島行きと松山発高松行きのそれぞれ1本に2000系気動車投入。「いしづち」は1往復増加し、10往復に。 多度津駅での「しおかぜ」との分割併合実施列車が下り4本、上り3本に。 1996年(平成8年)3月18日:2000系気動車「いしづち」の運行区間を新居浜発宇和島行きと松山発新居浜行きに変更。 1997年(平成9年)3月22日:「宇和海」の1往復を岡山駅発着の「しおかぜ」に変更し、上り14本・下り13本になる。 11月29日:このときのダイヤ改正により、特急運転体制の見直し。「いしづち」3往復増発、13往復で運転。このうち多度津駅での「しおかぜ」との分割併合を実施する「いしづち」は下り10本、上り9本とした。 8000系電車で日中運転される「いしづち」は、すべて岡山駅発着の「しおかぜ」と分割併合を実施。このころより、多客時に多度津駅での分割を中止し、高松駅 - 多度津駅間を運行するシャトル列車として運行される日が多くなる。 1998年(平成10年)3月14日:このときのダイヤ改正により、特急運転体制の見直し。「いしづち」を3往復増発し16往復で運転。このうち多度津駅での「しおかぜ」との分割併合を実施する「いしづち」は下り13本、上り12本に増える。 2000系気動車を使用した新居浜駅発着「いしづち」を高松発宇和島行きと松山発高松行きに変更。 2000系気動車使用の「しおかぜ」・「いしづち」でも併結運転を実施。 「しおかぜ」の所要時間短縮のため、8000系電車は編成の方向転換を実施。
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